この記事は2007年4月に掲載されたものです。
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蜻蛉玉『頂戴』とホスピタリティ

カテゴリー: fringeのトピック以前 | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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蜻蛉玉『頂戴』を3月31日ソワレに観ました。2005年の『ニセS高原から』でこまばアゴラ劇場は使用していますが、単独の本公演としてはこれが初めてになります。

女性らしい繊細な感性の作品で、現在と過去の心象風景が交錯する独特の文体が構築されつつありました。世界観はよく伝わってきましたが、物語を求める私にはやや厳しい面もありました。イメージの積み重ねが悪いわけではありませんが、現段階ではそれが頭でっかちに思えます。そう思わせないための技法をこれから磨いてほしいと思います。五反田団を連想するとの指摘も散見しますので、それも含めてさらなる差別化が課題でしょう。

五反田団同様のシンプルな素舞台ながら、切穴や3階ギャラリーをそのまま装置として取り込んだ演出は、劇場外公演を得意とするカンパニーならではと思いました。アゴラでギャラリーを最も活用した作品の一つではないかと思います。舞台中央奥にはランタン状の灯体を吊るした桜の木のオブジェが置かれ、幻想的な効果を醸し出していました。明暗のコントラストが見事でした(照明/伊藤泰行)。

残念なのはフロントスタッフの対応です。若いカンパニーで経験不足と制作者がいないことが原因だと思いますが、場外整理がスローモーだったり、整理番号の呼び込みが20番ごとだったり(入ろうと思えば1番より先に20番が入れました)、場内整理が早口できちんと敬語が使えなかったり、場内が混んでくると増席の手順を観客の横で相談したり……。

一通りのことはやっているのですが、全体的に接客業とのしてのホスピタリティが感じられないのです。フロントスタッフとしての責任感が全く伝わってこないのです。私が最近アゴラで観た中では、いちばんレベルが低い部類だったと思います。桜美林大学総合文化学群出身のカンパニーとして、公演運営も含めた実践的な教育を受けていると私は期待していたので、その点も意外でした。

前説で主宰の島林愛氏が「携帯電話を切ってと何度もお願いしているのに切ってくれない」と嘆いていましたが、それもスタッフのアナウンスに説得力がないからだと思います。上演時間や空調のことも一応アナウンスしてくれるのですが、言い方が非常に曖昧で、観客へ情報提供するという基本的な意識が欠けています。

上演中にエレベーターの運転音が聞こえたのも驚きました。通常、アゴラでは上演中はエレベーターを使用禁止にして外階段を使うのですが、今回はギャラリーの出入りが多いため、トラブルを避けるためにそのままにしたのかも知れません。それも一つの手だとは思いますが、舞台監督と熟練したフロントスタッフの連携があれば、外階段だけで上演を乗り切るのは可能だったと思います。普段は運転音を完璧に止めているだけに、せっかく余韻の漂う空間に重い運転音が響くのはもったいないと感じました。

フロントスタッフは観客を作品世界に誘う重要な役割を帯びています。ホスピタリティあふれる接遇で客席に着くのとそうでないのとでは、観客の感受性もずいぶん異なってくるのではないでしょうか。お手伝いさん主体でも素晴らしい運営をしているカンパニーはたくさんありますので、真摯に受け止めてほしいと思います。

アゴラ劇場にも提言したいのですが、これは劇場の主催公演です。作品内容には口を挟まないと聞いていますが、フロントスタッフについては積極的に介入すべきではないでしょうか。そうでないと、劇場主催として足を運んでいる多くの観客や劇場支援会員に対してホスピタリティを保証出来ないのではないかと思います。アゴラは全公演が劇場主催または提携ですので、これは大きな負担になると思いますが、平田オリザ氏が望む「月に一度は劇場に通うことが、多くの人々にとって当たり前になる」には、作品だけでなくホスピタリティの面でも行きたくなることが不可欠ではないでしょうか。