劇場法(仮称)に関する演劇界の議論は一巡し、総論賛成各論反対の印象が強い。各論の部分に様々な思いが交錯し、論点が見えにくくなっているように感じる。私個人は5月16日に「劇場法(仮称)に対する私の考え」を記し、劇場法(仮称)の提言自体には賛成を表明したが、合意形成にもっと時間をかけること、民間劇場に対する優遇措置を条件としてきた。この半年間の経緯を踏まえ、私なりに各論部分の問題点を解きほぐしていきたい。
(論点1)
劇場に根拠法は必要だが、博物館法の課題も踏まえ、
劇場・音楽堂にふさわしい根拠法を一から議論すべきである。
劇場法(仮称)推進派の思いをひとことで表わせば、劇場・音楽堂に根拠法が必要ということに尽きると思う。現在、劇場・音楽堂を規定する法律は存在せず、地方自治法で公共の施設という大枠にくくられてしまっている。法律上は公共の駐車場と同じ扱いで、専門性が明確でないために専門職員の配置、指定管理者制度からの除外、公的支援の妥当性が説明出来ない。このため、全国に約2,200館ある公共ホールの差別化が図られていない。すべては根拠法がないからで、根拠法が出来れば事態は変わっていくはずというのが推進派の考えだ。
根拠法が必要という意見に反対する人は少ないだろう。総論賛成なのも、この理念を正しいと感じる人が多いからだと思う。しかし、各論部分で私は下記の点が議論不足だと感じている。
- 公共ホールに関する議論のみが先行し、民間の公益法人が設置した民間劇場を含めるかどうかの議論が不足している。図書館法や博物館法は民間の公益法人が設置した私立図書館・私立博物館も対象としており、劇場法(仮称)でも対象をどうするかをもっと議論すべきである。公共ホールに関する議論ばかりしていると、「公共ホール救済法」の印象が強くなり、違和感を覚える。
- 推進派は根拠法の先例として図書館法・博物館法を引き合いに出すが、博物館法は多くの課題を抱えており、公立博物館でも登録を避けている現実がある。本来なら博物館法の課題を分析し、その反省を踏まえて一から劇場法(仮称)を考えるべきなのに、そうした検証の場がない。推進派が「図書館法や博物館法があるから劇場法(仮称)を」と訴えると、問題意識のない人はそこで思考停止してしまう。図書館法や博物館法と比較検討し、新しい時代にふさわしい劇場法(仮称)を考えてほしい。
世田谷パブリックシアターでは、10月18日に特別シンポジウム「劇場法を“法律”として検証する」を開催したが、同じせたがや文化財団が抱える世田谷美術館や世田谷文学館のスタッフを交え、博物館法の問題点をヒアリングしながら劇場法(仮称)案を考えたらどうだろう。議員立法で提出するなら、立案スタッフを招き、博物館法を反面教師にしながら意見交換すればいいと思う。私が世田谷パブリックシアター学芸なら、そういう企画を立てる。タイトルは「博物館法から学ぶ劇場法」。
(参考)
「『図書館法や博物館法があるから劇場法(仮称)を』という例えはやめるべき」
(論点2)
合意形成が重要なのに、なぜそんなに法案成立を急ぐのか。
民主党政権のうちに成立させないといけないのか。
推進派に対し、慎重派が最も違和感を覚えるのはこの点ではないか。平田オリザ氏は今春から「2010年秋にも国会に提出される」という発言を繰り返してきたが、議論の熟成を待たずに日程だけが先行すること自体おかしいという思いが、慎重派には強い。平田氏にとっては10年来提言し続けてきた劇場法(仮称)が「やっと実現する」という思いだろうが、多くの演劇人は「まだ議論が始まったばかりなのに」という気持ちだろう。平田氏から見れば、議論に参加してこなかった演劇人が無知に思えるだろうが、その温度差を埋めることこそ重要なはずだ。
民主党への政権交代からこの動きが強まったことを考えると、推進派は「民主党政権のうちに劇場法(仮称)を成立させてしまいたい」と望んでいるように思える。これも推進派の思惑ばかりで、わかりやすい状況説明がないと感じる。
- 推進派にとっては「待ちに待った劇場法(仮称)」だが、多くの演劇人にとっては「いきなり出てきた劇場法(仮称)」である。その差を埋めるための時間が必要で、その前に法案提出することは避けるべきである。そうでないと、合意形成を経ずに上から押し付けられた法律という印象が強くなる。演劇人にとって最も身近な法律になるはずの劇場法(仮称)が、そんな風にスタートするのは残念でならない。文化芸術振興基本法と同じことを繰り返してはならない。
- なぜ、民主党政権下で成立させないといけないのか。本当に必要な法律なら、政権与党がどこであろうと成立出来るはずである。劇場法(仮称)は国の助成制度と密接に関連しており、民主党政権下で劇場法(仮称)を成立させたとしても、その後の政権与党が予算を減らしたら意味がない。政権与党がどこになろうと、国として芸術文化の重要性を認め、支援が必要であるという議論を進めることが王道ではないか。
この辺は、平田氏の言動に対する反感から生じている部分も大きいと思う。クローズドな勉強会でかなり激しい発言もしたと聞く。10年先を走っている平田氏にとって、遅れている演劇人がもどかしくて仕方ないのだろうが、ここで百歩譲って「合意形成出来るまで、国会で上程の動きがあっても僕が止めてみせる」と発言したら、どんなに株が上がるだろうと思う。
(論点3)
劇場法(仮称)が出来ても、すぐに地域が変わるわけではない。
それがわかっているのになぜ急ぐのか。
この半年間の議論を見ていて、私が最も興味深く感じたのがこの点だ。推進派や慎重派の多くが、劇場法(仮称)に即効性はないという意味の発言をしている。専門職員の配置や国からの支援増額など、制度自体は大きく変わるだろうが、それですぐに地域に根ざした創造拠点になるわけではない。
劇場法(仮称)は、結果的に東京のプロデューサーや演出家を専門職員として全国にばらまくことになるだろう。そうした人材が地域で自主制作する場合、当初は実力のある東京の俳優をレジデンスさせて稽古することが予想される。マスコミが東京に集中している現状では、俳優が各地に移住することは考えにくい。制作者も専門職員の下で優秀な人材が育てばいいが、当初は即戦力となる東京の制作会社が業務委託や出向の形で人を送り込むだろう。指定管理者制度で東京の管理運営会社が全国の公共ホールを手掛けているように、劇場法(仮称)でも同じことが起きるはずだ。そのため、優秀な制作者ほど仕事が選べる東京の制作会社に就職したいと思うはずだ。よほどのJターン・Iターン志向がない限り、地元の公益法人を目指す制作者は少ないだろう。
このことは推進派もわかっているようで、平田氏も劇場法(仮称)で本当に世の中が変わるのは20年かかると発言している。劇場法(仮称)のある世の中で育ち、その人が就職する時代になって初めて変わるのだと思う。いまはその種を蒔いている時代なのだ。
地域の演劇人が劇場法(仮称)に過剰な期待を抱いているとしたら大間違いで、劇場法(仮称)が制定されて地元に創造拠点が出来たとしても、実力がなければ淘汰されていくだけだと思う。この点は平田氏も劇場法(仮称)にセーフガードが組み込めるわけではなく、「がんばるしかない」と発言しており、推進派や慎重派で意見の相違はないように感じる。
- 劇場法(仮称)に即効性がないことは同意見なのに、なぜ推進派と慎重派で法律制定へのスピード感が大きく異なるのだろうか。推進派は「時間がかかることなので、少しでも早く始めたい」と考え、慎重派は「時間がかかることなので、じっくり議論してからでも遅くない」と考えているように感じる。目指す姿が同じなら、ここは双方がもっと歩み寄れないかと思う。
- 地域の演劇人は、こうした劇場法(仮称)制定後の現実を踏まえた上で議論に参加してほしい。はっきり言うと、覚悟を決めてほしい。中途半端な幻想を抱いていると、失望だけを味わうことになるだろう。推進派はそうした功罪も含めて劇場法(仮称)の意味を伝えるべきだと思う(たとえ一時的に反対派を増やすことになっても)。それが本当の議論ではないか。
(参考)
劇場法(仮称)制定後の「天上がり」「制作外注」について考える
(論点4)
並行して進める民間劇場の優遇税制はどうなっているのか。
目途が立たないなら、劇場法(仮称)の対象を広げることも考えるべき。
これまで日本の小劇場演劇を育ててきた民間劇場へのリスペクトを失ってはならない。創造拠点として公共ホールの重要性が増したとしても、民間劇場ならではの優れた表現はこれからも続くだろうし、若い才能を育むインキュベーターとしての機能も発揮され続けるだろう。
論点1と関連するが、劇場法(仮称)が対象にするのは民間の公益法人が設置した民間劇場までだろうから、営利法人による民間劇場は劇場法(仮称)と連動した支援制度は受けられない。これまで芸術団体に対する助成は減らさないと推進派は主張してきたが、不正受給の発覚や団体継続の担保などにより、助成制度が公演助成・団体助成から劇場助成へシフトするのは避けられない情勢にある。平成23年度文化庁概算要求を見る限り、22年度からの減少はないが、今後予算は「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」に流れていくだろう。
この動きは、公演助成・団体助成を受けて民間劇場で公演していたカンパニーを、公共ホールと組まざるを得ない状況にしていく可能性がある。公共ホールの自主企画数は増加し、これが自主企画の名を借りた単なる「無料の貸館」だったりすると、公共ホールによる民業圧迫になるだろう。「無料の貸館」は私が最も懸念していることで、いまでもそれに近い公演が多いのに、劇場法(仮称)が制定されて予算を使い切る必要が出てくると、いったいどうなることかと思う。私がアーツカウンシルのオフィサーなら、まずは「無料の貸館」を排除したい。クオリティが多少低くでも、自分たちで作品を生み出すところに助成したいと強く思う。
劇場法(仮称)で民間劇場を閉館に追い込まないためにも、私は民間劇場に対する優遇税制を並行して進める必要があると思うが、推進派から表立ってそうした動きは見えない。これは劇場法(仮称)とセットで考えるべきことで、先に劇場法(仮称)を通せばいいというものではない。高萩宏氏は7月6日の文化政策提言ネットワーク(CPネット)公開型メーリングリストでこう述べている。
世田谷パブリックシアターが果たしてきた役割を、地域の公共ホールも果たせという風に読める。これが実現すれば民間劇場との役割分担も可能だが、専門職員が着任しても地域の公共ホールにそこまでの力があるのか。例えば、新たな観客創造のためにはロングランが最も効果的だが、1週間単位の公演がほとんどない地域の現状を変えていけるのか。もし週末だけの貸館になると、それは民業圧迫以外の何物でもない。高萩氏の理想が現実になるまで民間劇場への優遇税制は必要であり、それは劇場法(仮称)と一緒に考えるべきものだ。それが困難なら、いっそのこと劇場法(仮称)の対象に営利企業も含めるべきである。
- 推進派の民間劇場の対する支援措置が具体的に伝わってこない。まず先に劇場法(仮称)を成立させたいように感じる。公共と民間の役割分担が確立していない状況での劇場法(仮称)成立は、「無料の貸館」「週末だけの公演」で民業圧迫を生む可能性が高い。劇場法(仮称)で地域が変わるには時間がかかるので、民間劇場に対する支援措置はセットで考えなければならない。
- 劇場法(仮称)が地域の公共ホールの救済法になってはならない。本当にやる気のある劇場を選別するためにあるべきで、「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」で採択される劇場がそれにふさわしいか、私たちは注視すべきだと思う。これなら民間劇場でも出来ると思われることをやっていないか、アーツカウンシルは厳しく精査してほしい。
私はやみくもに民間劇場を守れと主張しているわけではない。競争力のない民間劇場は淘汰されても仕方ないし、公共ホールが多すぎるように東京の民間劇場も多すぎると思う。だが、予算を持つ公共ホールの「無料の貸館」「週末だけの公演」により、民間劇場が本来担うべき役割までも侵食されるのはおかしいと思うのだ。
最近の平田氏の発言の中で私が最も違和感を覚えたのは、青年団演出部出身のカンパニーには、こまばアゴラ劇場から公共ホールの企画に乗って、一度も劇場費を払った経験がない若手がいるという下りだ。これでは、まるで劇場費を払わないことが理想のように聞こえる。確かに東京で劇場を選べば、そうした公演も可能だろう。だが、民間劇場の貸館なら劇場費を払うのは当然のことであり、この発言は有料の劇場が劣っているという印象を与えかねない。劇場費へ言及するのなら、民間劇場へ優遇税制を実施し、そのことで民間劇場の劇場費を下げるような提言をすべきではないだろうか。
推進派にとって都合のよいレトリックだけをしゃべるのではなく、腹を割って劇場法(仮称)の課題も語り合う――それが本当の建設的な意見交換だと私は思う。よりよい劇場法(仮称)が出来ることを私も願っている。