「blog branch of ka-i-ka-n.」に舞台・テレビジョン照明技術者技能認定のことが書かれていて、興味深く拝見しました。確かに技能認定の有無と実力は全く関係ないわけで、それが現場に軋轢を起こしているのだとしたら、なんのための制度かということになるでしょう。
私は逆に制作者には資格が欲しいなと思っている人間です。学芸員資格や司書資格と同じ性格のものを考えています。いずれきちんと提言したいと思いますが、資格で差別化を図るのが目的ではなく、制作者として最低限の知識や理念を身に着けるための指針として、資格取得の条件が示されるとよいと思っています。そうすれば、大学のアーツマネジメント課程などは、必ずそれに沿ったカリキュラムにするはずですから。
なぜこういうことを考えたかというと、一つは法務や税務の基礎知識は絶対に必要だろうということ。著作権の知識などは、現場で覚えればいいというものではなく、現場に出る前の常識として必要なはずです。指定管理者制度や助成金配分などで、制作者の活躍の場は今後広がっていくはずですが、私が文化行政担当者なら著作権も知らないような人に仕事は委託出来ないと思います。
もう一つは、制作者としての理念を持ってほしいという願いから。芸術の世界はどうしても現場中心で、学校で教わることなど役に立たないという考えが支配的です(これは芸術に限らず、あらゆる分野でそうかも)。確かに頭でっかちの学生の理想論などお呼びでないのも事実ですが、それがすぐに実現出来なくても、あるべき姿を心に抱きながら働くというのは、決して悪いことじゃない。そのうちなにかを選択する場面になったとき、その理念に近いほうを選んだらいい。その理念を身に着ける場として、考え方を学ぶ機会は必要だと思いますし、日本の演劇の現場にはそれがなさすぎだと思うのです。制作者の地位が低すぎるのも、そういうところが根本的原因なのでしょう。
平田オリザ助教授で知られる桜美林大学文学部総合文化学科は、プロの演劇人の養成だけが目的ではなく、「演劇を通して人間を観る、演劇を通して世界を感じ取るという新しい知性の在り方」(青年団サイト「桜美林大学」より)を学んでほしいとしています。言うなれば「演劇人マインド」を身に着けてほしいということですね。「制作者マインド」も同様で、すぐに現場で使えなくても、頭の片隅に置いてほしいということです。
この「××マインド」というのは、桜美林が言い出したことではなく、法学部出身者ならお馴染みの「リーガルマインド」の精神と同じです。法学部というのはちょっと変わった学部で、全員が司法試験を目指して入るわけじゃない。司法試験が難関なのが知れ渡っているので、それはもうあきらめているわけです(こういう学部はめずらしいのでは)。そうではなく、法律を学ぶことでリーガルマインドを身に着け、実社会で活かしていこうとするわけです。いま流行のコンプライアンスの精神ですね。私も法学部卒ですので、その道のプロにはなれないけれど意識は持つ、マインドを持つという考え方は非常によくわかります。同様に制作者にもマインドを持ってほしいのです。
制作者資格は、fringeでいずれ詳しく。
個人的演劇制作の歴史、語ります(2)
●流行のアートマネジメントと現場のギャップ 先に触れたアートマネジメントについて