テレビドラマ「めんたいぴりり」(原作:川原健)が舞台化された作品を福岡の商業劇場博多座でみてきました。
「めんたいぴりり」は実存する明太子製造・販売会社の創業者夫妻が、戦争を乗り越え、明太子を誕生させるまでの奮闘を描いた物語。2013年8月に福岡 ローカルで放送されたドラマは好評を博し、フジテレビ系列14局と韓国・釜山のKNNでも放送されたほか、第30回ATP賞、第51回ギャラクシー賞でそ れぞれ奨励賞を受賞、2014年8月にはDVDが発売されるなど、広く愛される作品となった。
http://natalie.mu/owarai/news/138786 より
舞台もなかなかに素晴らしいものだったと思います。地元の演劇関係者の評価も高いものでした。
テレビドラマでの素材を忠実に再現する手法のように見えましたが、テレビドラマを見た人にも、見てない人にも楽しめたようです。
少子化による人口減により、パイが拡がっていくことは難しく、東京を除いて国内の演劇シーンは衰退するだろうと私は考えています。そして、その衰退の幅をいかに小さくして、現状に近い水準を維持するかポイントになると考えています。
(PINstage高崎の 「さくてきネクステージ from 福岡」Vol.9)
しかし、先日見た博多座「めんたいぴりり」の公演は、福岡においてこの認識を少し修正させるものでした。
たとえば経済的な視点で東京の演劇シーンを見ると、芸能人が出演して1万人単位で動員のある商業演劇がトップに存在し、そこに小劇場系演劇シーンが優秀な俳優やスタッフを供給するという構造があります。
こういうモデルケースがその地域にあるのとないのとでは大きな違いです。
こういう構造があることが観客や演劇人の裾野を広げ、演劇シーンの構造をより継続性の高いものにしているのは事実だろうと思います。
博多座「めんたいぴりり」の公演では、この構図が一時的にせよ成立していました。
これまで福岡で上演される商業演劇は、東京で製作されており、そこに地域の演劇才能が関わる余地はほとんどありませんでした。しかし「めんたいぴりり」のドラマや舞台には、福岡の小劇場で活躍する俳優も出演していました。
これまで断絶構造にあったものが、連続性のある構造を見せたことは画期的だと思います。
また私はある程度の規模の都市では、地元の演劇才能を中心として、他地域公演に耐える作品を作ることを目指すべき。と考えています。
その中心となり最も大きな持分を持つのは、脚本・演出家です。筆頭株主とでもいいましょうか。もちろん役者やスタッフも一定の割合で持分を有します。
地域の公共劇場のプロデュース公演で、脚本・演出家、テクニカルスタッフを他地域から呼んで、役者だけは地域の人材という作品を見ると、作品のクオリティのためにやむを得ないと思うと同時に、地元の才能を育成して地域の才能で優れた作品を作れるようにならなければという思いもありました。
100%にする必要はありませんが、作品における地域性は一定程度にほしいと思っています。
この地域性の点でいっても、「めんたいぴりり」は、テレビドラマでも舞台版でも、福岡・九州の才能を活用することへの高いこだわりが感じられます。
とうぜん、福岡には万単位の動員に耐える芸能人はいませんから、東京から連れてくるしかありませんが、主演は博多華丸ですし、その他にも福岡出身の俳優の率が高いのです。地元の俳優にもなかなかの役割が与えられています。
また、原作は福岡の人の手によるものです。テレビドラマの脚本は福岡出身の作家で、監督は在福岡の方です。舞台の脚本は宮崎出身と、福岡・九州の人材活用への強いこだわりが見えるのです。
これを福岡の才能だけで作ったとはいいませんが、これだけ才能の地域性が濃ければ、もはや十分なレベルだと思います。
ここまで、地域の人材へのこだわりがあれば商業演劇でありながら地域演劇性も高く、福岡を代表する作品と言っていいかと思います。
私にとっては、地域演劇の概念を変える公演企画ですし、地域演劇史に残る作品だと受け止めています。
「めんたいぴりり」は、テレビドラマが人気を博して舞台公演になるなど、うまくいきすぎた面もあると思っています。これに並ぶほど恵まれた作品は、なかなか出てこないでしょう。
しかし仮に「めんたいぴりり」まではいかなくても、これに準ずるような舞台作品が年2本おこなわれると仮定すると、福岡の地域演劇シーンは、私の予測を外れこれからさらに成長していくでしょう。
福岡以外の地域では応用できないため、地域演劇シーン全体としては予測に大きな変更もありませんし、福岡がそうなっていく可能性が高いとは思いませんが、少なくとも私の悲観的な予測を修正しなければならないのは間違いありません。
明太子のふくや、テレビ西日本、博多座に心から敬意を表します。