北村想さんが、新国立劇場の芸術監督人事問題を契機として、日本劇作家協会を退会するというブログを書かれていた。
「一応、いっとくけど」
http://soh-hi.air-nifty.com/populism/2008/08/post_691b.html
fringeトピック「北村想氏が新国立劇場芸術監督人事に声明発表した日本劇作家協会退会を表明(2008/8/27)」
http://fringe.jp/topics/2008/08/271.html
これは、本当に不幸なことだと思う。
北村想さんが「自分の時は何もしてくれなかったのに、東京の劇場の時は、こういうバックアップをするのかよ・・・」
と思ったのだとしても、やむを得ないし、脱退というところまでになるのも仕方ないのかも知れない。
東京に在住している人に、そういう地域の人の思いに配慮があれば良かったのだと思うけど、そこまで気づくのは難しいと思う。
劇作家協会(に限ったことではないが)の役員は、大半が東京在住だ。東京ローカルで起こったことについては身近なことで、実感として痛みが感じられ、個人としても感情が動き、それが結果的に組織としての対応になる。
しかし、遠く離れた地域での出来事には、実感として痛みが感じられず、個人としても感情が動かず、結果的に組織として不作為となる。
全国組織ならば、その役員は地域的なバランスに配慮すべきだ。これは国の助成金の審査員にも言えるし、国の文化政策を左右する文化政策審議委員会の委員にも言える。
今回、北村想さんが提起した問題は、効率性に優れた中央集権の弊害でもあり、芸術文化リソースの特定地域への集中が引き起こしたことでもあると言えるのかも知れない。
自分個人としては、劇作家協会の関係者を批判する気持ちは全くない。
劇作家協会の役員の方の何人かとは面識があるが、自分の目で見たカンジでは、やはり人間の内面を描く優れた劇作家で、よりいっそうの他者への繊細な心配りの出来る方だと思う。さしたる面識もないのに親身に相談に乗ってくれた方もいた。
この現象は人間の限界であると思う。個人には責任はないし、個人を攻撃してもなにも解決しない。北村想さんがブログで書かれた思いは、個人への不満ではなく現象への不満だと思えた。
これはやはり制度の問題だ。中央集権という「制度」をなんとかしないといけない。
これは、ひるがえってみれば、九州の中の福岡にいて陥りやすい状況とも言える。九州地域演劇協議会が設立されて、FPAPはその事務局を担当しているが、同じような轍を踏まないようにより一層気をつけないといけない。