この記事は2008年6月に掲載されたものです。
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fringeトピック:劇場不足を嘆くよりすることがある、新聞2紙が「九州演劇人サミット in 佐賀」に論評

カテゴリー: さくてき博多一本締め | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 高崎大志 です。

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読売新聞、朝日佐賀新聞はすでに拝見しているところです。
私としては、議論の流れに沿った記事だと受け止めており、記者の方にはサミットに来ていただけたこと、記事にしていただいていることに感謝しているというかんじです。

ただ、ちょっとアドバイスいただいたのは「両記事だけを読むと、そうは感じられず、
ダメな演劇人に、記者が喝を入れているという印象があるのでは」ということです。
これは、記者の方も不本意だろうと思いますので、若干補足しておきたいと思います。

サミットの中で、地域の劇場環境の厳しさについていろいろな報告がありました。さらにはそのような環境でも、さまざまな工夫でそれを乗り越えている事例も多く話されております。

サミットに参加されているパネリストの大半は、すでに10年以上地域で演劇活動をされた方で、環境がどうあれ創作活動をがんばっているのは自明のことで(そうじゃないと10年続きませんしね)それは記者の方にも十分伝わっているところだと思います。

また、両記事とも、環境の問題を十分に取り上げてくれ、その意義も評価していただいております。
他にも、傍証は多々あるのですが、議論の流れに沿った記事だと受け止めており、私としてはかなり励みになる記事です。


fringeトピック:劇場不足を嘆くよりすることがある、新聞2紙が「九州演劇人サミット in 佐賀」に論評」への6件のフィードバック

  1. 荻野達也

    佐賀新聞ではなく、読売と朝日です。

    記事を転載することは出来ませんので、他の読者の判断を仰ぐことが出来ませんが、私が両記事を読んだ限りでは、演劇人に初心(芝居への熱意)を忘れるなと言っているように思えました。

    読売のほうがトーンは柔らかく、議論の流れを客観的に伝えた上で、「池田さんの発言は、演劇への行政の無理解を嘆く方向へ議論が傾きそうになった中で、環境面の充実を行政や企業に求める前提として、何はなくとも芝居への熱意を演劇人の側が高く保ち続けていることが必要であることの自覚を促すものだった」としています。

    朝日は冒頭から「演劇空間とは劇場にだけ存在するのだろうか」と書いて、これは明らかに批判的だと思います。最後は「劇場という整備された空間以外でも、さまざまな場所が演劇空間になりうることも、60年代以降の小劇場演劇史をたどれば明らかだ」と書いて、劇場以外にもっと目を向けるべきだと主張しています。

    > これは、記者の方も不本意だろうと思います

    記事を読む限り、記者の狙いはトピックのとおりだと思いますし、特に朝日は「惜しまれる」「違和感を覚えた」という文言を使っているわけですから、「喝を入れている」と思われても仕方ないのでは。

    もし本当に記者が地域の現状に共感してくれているのなら、「さまざまな工夫でそれを乗り越えている事例」に紙幅を割くと思いますよ。

  2. 高崎大志

    >演劇人に初心(芝居への熱意)を忘れるなと言っているように思えました。

    私もそうだと思います。
    と、同時に、「サミットのパネリストが、初心を忘れている」と記者の方が考えているとは受け止めていません。
    そのような表記がないことが一つ。
    二つ目には、パネリストの方々は、それぞれの地域で厳しい環境で演劇活動を続けてきた人たちであることは、記者の方もご存じだろうと思います。
    記者の方が、批判するにあたって、それらのパネリストの活動の裏をとらないということは考えにくいですし。

    >「演劇空間とは劇場にだけ存在するのだろうか」

    サミットでは劇場以外の公演事例の発表もありましたし、私もサミットで池田さんの意見に当然の賛意を表明しています。サミットの議論の範囲だろうと思います。

    >もし本当に記者が地域の現状に共感してくれているのなら、「さまざまな工夫でそれを乗り越えている事例」に紙幅を割くと思いますよ。

    普通に行くとその通りだと思うのですが、職業倫理上そんなに素直な新聞記者はそうそういないかと・・・
    この記者の方とは、サミット後にも少々話をしたのですが、そのパーソナリティや批判的な書き方も含めて、本文に書いたような印象を持っています。

    一般的には、よりよい座席・客席の環境で芝居をみてもらいたいとなれば、仮設の演劇空間にはかなりの制限があり、表現団体がより小劇場を要望するのは自然なことですし、仮設の空間はやはり主流ではありません。

  3. 荻野達也

    高崎さんが言われたいことは、記事の「演劇人に初心(芝居への熱意)を忘れるな」という趣旨は、パネリストに対して向けられたものではなく、一般論として書かれたものだということでしょうか。

    私が読む限り、記事は池田さん以外のパネリストに「初心(芝居への熱意)を忘れるな」と言っているように思えます。読売の「池田さんの発言は、演劇への行政の無理解を嘆く方向へ議論が傾きそうになった中で、(中略)自覚を促すものだった」は、当然参加者に向けられたものでしょう。それは違うと言われるならもう平行線ですが、その場にいなかった私にはそうとしか読み取れないのです。

    それから、長く活動を続けることについては、評価と同時に弊害もあると思います。長く活動しているからこそ、初心を忘れることもあるのではないでしょうか。

  4. 高崎大志

    >パネリストに対して向けられたものではなく、一般論として書かれたものだということでしょうか。

    私はそのように、理解しています。

    劇場の話はサミットでの一部分にあたります。
    サミットでの全体の議論の流れ、各人の活動に照らしたときに、記者の方が池田さん以外のパネリストが初心を忘れている。と、断じるのはムリがあるだろうと思います。
    「一見すると初心を忘れたようにも見えた」という表現くらいならば、主観的な表現ですし、ありえるかもしれません。

    >その場にいなかった私にはそうとしか読み取れないのです。

    荻野さんのご指摘はごもっともなことと思います。
    ですので、誤解がないようブログにて補足したところです。
    といっても、自分ではない人の真意なので、私の理解が誤っている可能性もあります。(^^;)

    私は、上記の根拠の外、新聞記事も読み、サミットの場に居合わせ、記者の方のキャラクターもあわせ、総合的な印象としてそのように理解しています。

    >長く活動しているからこそ、初心を忘れることもあるのではないでしょうか。

    一般論としてはその通りだと思います。
    今回のパネリストについて言えば、サミットでの全体の議論の流れ、各人の活動、直接接した印象から、初心を忘れているとは考えておりません。

    といっても一局面、たとえば手弁当だった時代から、劇団が弁当を出すようになって、のり弁が続いて「また、のり弁かよーー」と言ったりするのは初心を忘れている好例ですが、こういうの位までないと断言はできません。
    まぁ、そこは人間なので。

    しかし、その人の人格をトータルで見ていくときに、やはり、初心を忘れているような方はいないと自信を持って言えます。

  5. 荻野達也

    > 荻野さんのご指摘はごもっともなことと思います。
    > ですので、誤解がないようブログにて補足したところです。

    このとおりなら、新聞だけ読んでいる大多数の読者も誤解しているかも知れないわけで、記事として問題があるんじゃないですか。なぜ、高崎さんがそんなに記事に感謝するのか、ちょっとわかりません。

    そりゃ、記事になることは主催者として大切なことでしょうが、問題がある記事にはきちんと苦言を呈すべきでは……。

  6. 高崎大志

    最初に読んだときの感想が、荻野さんと同じようなところであれば、苦言も呈したくなっていたかもしれません。

    といいましても、第一印象で「扱ってくれた。ラッキー。」という所からスタートしておりまして、苦言を呈すというよりも、誤解がないように書いておく。というところが、私にとって一番ぴったり来るというような状況です。

    なので、荻野さんのご指摘にはたいへん感謝しております。

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