全国の制作者にぜひ読んでもらいたい本がまた出ました。
山形県酒田市で、映画評論家・淀川長治氏に「おそらく世界一の映画館」と言わしめたグリーン・ハウスと、多くの食通・文化人を唸らせ、「日本一のフランス料理店」の評判を集めた「ル・ポットフー」の支配人を務めた佐藤久一(きゅういち)氏の生涯を克明に綴ったノンフィクションです。
講談社
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本当に驚きました。いま私たちが演劇界で模索している座り心地のよいイスや無料パンフレットの発行、招待券の活用やバックステージツアーなど、およそ思いつくすべてのことを1950年代前半に佐藤氏は実行しているのです。グリーン・ハウスは元々倉庫を改築した安普請でしたが、当時斬新な回転ドアを付け、正装の係員を配置し、無料のお茶をふるまい、女性客を増やすための懸賞論文まで募集します。いち早く予約指定券を採り入れ、水洗トイレが全く普及していなかった時代に水洗式を導入。トイレに入るためだけに訪れる女性、きれいすぎてトイレの床に座って弁当を食べる人もいたそうです。
土曜夜は地元の演劇・音楽サークルに発表会場として提供。日曜朝はモーニングショーを実施。夜の終映後は無料の送迎バスを走らせ、市立病院の入院患者には試写会をプレゼント。コンサートや演劇と組み合わせたイベント仕立ての上映も盛んに行なっています。スタッフのモチベーションを上げるため、場内に上映技師の名前を掲示し、テレビのない時代にニュース映画を屋外で流しています。
50年代後半からは本格的な喫茶店を館内に併設。さらに名作をゆったり楽しむため、定員10名のミニシアターを別につくります。従来の大スクリーンにもガラス越しに作品を楽しめる特別室や喫煙室を設け、家族連れや商談で人気となります。評論家を招いての座談会、モニター制の導入、友の会やシネマ研究会の運営など、そのアイデアは目を見張るばかりです。私たちは、佐藤氏の切り開いた道を歩いているに過ぎないのです。
父親がオーナーだったとはいえ、ここまでを34歳の若さで実現しているのです。前例のない時代にこれらを始めた彼のセンスを思うと、いま私たちが動員に苦労している話など、甘え以外の何物でもないような気がします。その後の佐藤氏は愛人と東京に飛び出し、開館したばかりの日生劇場で食堂勤務を命じられるなど、公私共に波瀾万丈の人生を送りますが、制作者はグリーン・ハウス時代を読むだけでも価値があるでしょう。
食堂勤務がきっかけで酒田に戻ってフランス料理店を手掛ける
1976年に起きた酒田大火がグリーン・ハウスの漏電によるものだったとは驚きですが、そうした因縁も含め、この映画館とフランス料理店が酒田の人々になくてはならないものであり、単なる娯楽や食事の枠を超えて文化を育んでいったことが、豊富なエピソードによって詳細に描かれています。
いますぐ読んでください。そして、劇場に観客を呼ぶアイデアはいくらでもあることに気づいてください。制作者必読の一冊です。
【書籍】世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか(講談社)
fringeで紹介されていたので読みました。佐藤久一(きゅういち)さんが映画館…