この記事は2006年10月に掲載されたものです。
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ポタライブの実験

カテゴリー: fringeのトピック以前 | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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※文中、吉祥寺編『断』のネタバレを含みます。

劇場ではなく、散歩しながら(pottering)丹念に取材された街のエピソードに耳を傾け、先回りしたパフォーマーの風景に溶け込むような演技を楽しむ「ポタライブ」。その1か月に渡る最終公演期間中に、主宰の岸井大輔氏が「どうしてもしておかなければならない話」として、自身のウェブログで演劇とお金について3日連続で語っています。

10月13日 http://plaza.rakuten.co.jp/kishii/diary/200610130000/
10月14日 http://plaza.rakuten.co.jp/kishii/diary/200610140000/
10月15日 http://plaza.rakuten.co.jp/kishii/diary/200610150000/

ポタライブは、「質の高いパフォーミングアートを劇場システムに頼らないでつくり、お客さんのチケット収入が健全に創作者を生かす可能性の提示」の実証実験だったわけですが、その意味では「失敗したと認めざるを得ない」とのことです。散歩という性格上、どうがんばっても10名が上限の観客では、いくら収入=ギャランティとはいえ、収支が成り立たないわけです。

岸井氏が述べていることは、私も観客として実感していました。私が参加したのは9月25日夜の吉祥寺編『断』ですが、その中で夕方にはゲネをやっていることが紹介されました。本番にだけ集まるのではなく、周到な準備がうかがえました。パフォーマー・作家・受付スタッフの5名が、このライブで1日分のギャラを得るのだとしたら、とても採算が合わないと思いました。岸井氏の案内を楽しむ頭の片隅で、その違和感がずっと離れませんでした。

劇場という場のために費用がかかりすぎることを岸井氏は指摘していますが、劇場は多くの観客に表現を伝えるための安定した装置であることは事実です。一方、ポタライブは散歩中の肉声というスタイルを踏襲する限り、やはり10名が限界でしょう。季節や天候にも左右されますので、結果として劇場公演以上にローリターンにならざるを得ません。そう考えると、ポタライブの意義は劇場費用を排することではなく、チケット代が目の前の人々に全額入るシンプルな構造を見せつけることにこそあったのではないかと思います。

演劇は装置産業的なところがありますから、規模が小さいほど客席単価は割高になり、人気カンパニーほど小劇場ではやらなくなります。興行的には小劇場ほど贅沢なのですが、その構造が観客になかなか伝わらないジレンマがあります。それをポタライブは究極の形で見せているのですから、堂々とチケット代に転嫁すべきではないでしょうか。高くなったチケット代を観客が受け入れるかどうかが、結局は質の証明になるだろうと私は思います。

ポタライブは単なる路上演劇ではなく、観客にとっても発見の小旅行であり、劇作家からフェイス・トゥ・フェイスに近い距離で直接物語を聴かされるという、劇場ではあり得ない体験です。綿密に計算されたコース(相当な根回しや交渉があるようです)は、街自体を主人公に劇場の装置や効果以上の感慨をもたらしてくれます。『断』では途中でパフォーマーが自作の詩集を売る場面があり、その回の参加者は全員買ったように見えました。チケット代が安い、旅の途中ならお金を使ってもよいという気持ちの表われでしょう。

収入だけを考えると、ポタライブを旅ととらえた観光産業的発想の増収案や、岸井氏がわざと触れなかった助成金やスポンサードの道があります。けれど、ポタライブはチケット収入全額を使えばパフォーマーを支えられるはずという思いが源なので、その初心を貫いてほしいわけです。

もう一つの可能性は、岸井氏も訴えていますが寄付金です。演劇が人間にとって本当に必要なものなら、自分が観ようが観まいが寄付をして絶やさないようにすべきで、この話も制作者同士が集まると私はよくします(もちろん寄付先が問題になりますが)。例えば日本野鳥の会というのがありますが、その会員は野鳥を私物化することが目的ではなく、野鳥がいる環境を守ることが目的です。自分は忙しい都市生活者でも、会費を払うことでその願いを託しているのです。ポタライブが単なる作品の概念を超え、街に必要な存在にまで昇華出来るのなら、その存在を支える「日本ポタライブの会」があっていいと思います。

ポタライブの応援を書いたつもりですが、彼ら自身がまだ努力すべき点もあります。私も以前から名前は知っていましたが、参加したのは最終公演と聞いてからでした。少人数による散歩という形態は心理的ハードルが高く、リピーターが多いと書くのは未経験者にとって逆効果かも知れません。常連客が集う店の暖簾をくぐる勇気が必要で、そこにもっと主催者側のホスピタリティが欲しいと感じます。観客の推薦文だけでなく、主催者自身がポタライブの魅力をサイトで視覚的に伝えてほしいし、必要事項の説明がないメール予約も不安。駅での集合場所も、プラカードか旗を掲げてほしかったです。新たな観客との出会いを求める姿勢をもっと打ち出し、その認知度を高めてほしいと願っています。


ポタライブの実験」への1件のフィードバック

  1. 劇作家 岸井大輔 WEB SITE

    10月17日

    ポタライブ船橋編 ふねのはなしはないしょのまつり 最終回登っている。よしよし。***ポタライブ船橋編終了。さて、船橋、都心から遠いにもかかわらず、FINALに2作品もいれたのは、もちろん、この2作品がポタライブを代表するものだからだけれども、なぜ、それが船…

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