この記事は2010年2月に掲載されたものです。
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仙台・きらく企画解散と「あべひげ」阿部立男氏逝去に思う

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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「杜の都の演劇祭2009」の盛況が続く仙台で、この冬衝撃的なニュースが続けざまに飛び込んできた。

まずは、きらく企画が2009年12月をもって解散し、運営していた「GalleryOneLIFE」も閉館するという突然の発表。きらく企画は1998年8月設立で、当初はカンパニー形態で公演を打っていたが、2000年から仙台ではめずらしい完全な演劇企画集団となり、若手ながら幅広いスタッフィング・キャスティングで仙台圏を代表するプロデュース作品を届ける存在となった。04年2月には東京国際芸術祭リージョナルシアター・シリーズに仙台から初参加を果たし、ここで彼らの名前を知った東京の演劇ファンも多いのではないかと思う。

当初から地元の憧れであるエル・パーク仙台での公演や県内ツアーを実現していた彼らは、劇場の問題、特に長期利用が出来ない公共ホールの限界を痛感していたのだろう。05年3月には仙台市中心部に稽古場を仮設劇場化した「TheaterOneLIFE」を設け、17日間ロングランを行なった。せんだい演劇工房10-BOXの劇場化(07年10月)、SENDAI座☆プロジェクトによる白鳥ホール復活(07年11月)以前の話で、仙台でロングラン出来る劇場確保に初めて具体的に行動した集団だった。当時20代半ばだったことも特筆に価する。

07年春には「GalleryOneLIFE」に改称してグランドオープンし、一般への貸館も開始したが、07年11月に開催された「衝劇祭2007」で劇場としての法的要件を満たしていなかったことが発覚、10-BOXへの急遽会場変更する試練があった。その後改修工事を経て消防法はクリアしたが、保健所が管轄する興行場法をクリアすることが出来ず、公演は月4日までに制限されてきた。ロングランを目指した劇場づくりは実現しなかったが、この空間を愛して公演を希望する集団もあり、なにより彼ら自身のアトリエとして機能を果たしてきた。興行場法の制約を考えると、4年間で32公演の実績は全国に胸を張れるのではないか。

公式サイトでは解散の理由は多く語られていないが、代表の鈴木拓プロデューサーは「杜の都の演劇祭2009」制作チーフとして1月いっぱい活動し、現在は劇都仙台2009演劇プロデュース公演『はだか道』の制作チーフとして公演中だ。文面から察するに、鈴木氏自身は今後も地元の創造環境整備に挑戦し続けるのではないか。次のようにコメントする鈴木氏なら、たとえ物理的拠点が失われたとしても、精神的目標を見失うことはないだろう。

「仙台ではまだ、作り手だけが満足する舞台が多く、演劇は身近な娯楽として根付いていない」

毎日新聞東京本社版2007年4月25日付朝刊(宮城版)
「演劇で飯を食う人を仙台に増やしたい。それが『きらく企画』を発足させた理由でもあるから」

読売新聞東京本社版2008年11月15日付朝刊(宮城版)
「仙台の劇団はみんな、公演しても赤字。演劇というコンテンツの良さをPRし、ビジネスモデルを作りたい」

河北新報2009年12月15日付夕刊

鈴木氏は現在31歳。名古屋を代表する東海シアタープロジェクトの大橋敦史プロデューサーが30歳なので、まさに同世代と言えるだろう。二人に共通するのは、高校演劇出身のネットワークでフットワークの軽さを見せつけたこと、行政と民間の仲立ちになって固定概念を打ち破る連携を実現したこと、絶えずリスクを背負って第一線のプロデューサーであろうとすることだろう。立場を超えられない旧来の演劇人、安全地帯にいる文化行政担当者や演劇評論家やマスコミでは決して出来ない仕事を担っている。まだピンポイントではあるが、こうした次世代を担うプロデューサーたちの力で、地域の演劇環境は変わっていくのではないかと想像する。

そして年末の仙台演劇界、いや仙台を訪れたことのある全国の演劇人に衝撃が走ったのが、居酒屋「あべひげ」店主・阿部立男氏の急逝。57歳の若さだった。

阿部氏自身は元々舞踏好きで、84年にアスベスト館仙台公演の受け入れ団体として制作集団「南斗六星」を設立。以後も大駱駝鑑、大野一雄氏、田中泯氏らの仙台公演を手掛けてきた。89年に「あべひげ」を開店してからは演劇人のたまり場・打ち上げ会場として定着したが、舞踏制作者としての初心衰えず、09年2月には仙台で久々の本格舞踏公演・工藤丈輝ソロ公演『業曝~ごうざらし~』を南斗六星プロデュースとして実施している。阿部氏は制作者としても先達だったのだ。

1月16日~17日には阿部氏を偲ぶ新年会が「あべひげ」で開かれ、2日間で約100名が訪れたという。この模様は朝日新聞東京本社版1月20日付朝刊(宮城版)で大きく紹介された。表現者のたまり場というだけでなく、幅広いジャンルの情報交流センターとしての役割を果たし、ときには発表の場としても使われ、舞踏を仙台に紹介し続けた功績も含め、阿部氏の逝去は他のマスコミももっと報じるべきだと思う。