作成者別アーカイブ: 荻野達也

朝日新聞特集「文化変調 芸術とカネずさん」は助成制度の本質を見ていない

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朝日新聞東京本社版10月16日付朝刊の「文化変調 芸術とカネずさん」という特集記事はちょっとひどい。

国からの文化助成金・補助金に不正が相次ぎ、制度そのものが見直しを迫られているという趣旨で、舞台芸術と発掘調査の分野でそれぞれ具体的事例を挙げている。これ自体は間違いではないが、見出しや記事のトーンから現在の助成制度すべてが悪いように感じられ、これを読んだ一般読者の多くが「不況なのに芸術文化への助成なんて必要なのか」と思うはずだ。見出しがすごいので、ぜひ実際の紙面(3面)を見ていただきたい(ブログ「WIND MESSAGE」が画像をアップしている)。

芸術とカネずさん

演劇制作会社 国の助成金欲しさに出演料水増し

助成制度「無法地帯のよう」

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アーティストの評価は誰がやるべきか――平田オリザ氏のポスドク起用案に反対する

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日本でも国のアーツカウンシル試行的導入が平成23年度文化庁概算要求に計上されたが、全国のアーティストを誰が評価するかについて、平田オリザ氏はポスドクで調査組織をつくり、夜行バスで全国を回らせることを主張している。10月18日に開催された世田谷パブリックシアター特別シンポジウム「劇場法を“法律”として検証する」でも同じ趣旨のことを述べており、持論は変わっていないようだ。

30名ほどの若い専門家集団を作り、彼ら、彼女らに、深夜バスで全国の舞台芸術をつぶさに見て回らせる。ディスカウントチケットの飛行機と夜行列車で、世界中のフェスティバルを調査させる。その成果を報告書として評議委員会にあげて、助成金の配分や事後評価を行う恒常的なシステムを構築しなければなりません。

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関西小劇場界の提携公演・協力公演を改めて考え直す

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東京と関西の劇場の違いを考えるとき、キーワードとなるのが「提携公演」だろう。東京の演劇人には理解しにくいシステムだと思うし、関西で30代前半までの演劇人は最初から提携公演がある環境で活動してきたので、その功罪が客観的に見えづらいだろう。改めて提携公演とはなにか、今後どうあるべきなのかを考えたい。

関西の提携公演は、上本町にあった近鉄小劇場(04年閉館)が東京の小劇場系カンパニーを招聘する際、現地制作がいない彼らをサポートするために生まれた制度と聞いている。劇場スタッフが票券管理、宣伝、宿泊手配、当日運営などを代行し、チラシは他劇場に折り込み(挟み込み)を依頼した。本来、関西方式の折り込みは指定日時にチラシを持ち寄り、全員の共同作業でチラシ束を組むが、旅公演の場合は遠方からのカンパニーを支援するため、関西の演劇人たちが代行した。対象は旅公演に限られていたわけで、相互扶助の精神に支えられた行為だった。提携公演と言うと劇場使用料割引をイメージする人が多いと思うが、実際には劇場側がリスクを負いながら票券管理を行ない、その収入で費用を賄っていたもので、共催に近い内容だ。現在の提携公演とはかなり違うことを知ってほしい。

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『劇場空間への誘い――ドラマチック・シアターの楽しみ』

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日本建築学会建築計画委員会文化施設小委員会が企画編集した『劇場空間への誘い――ドラマチック・シアターの楽しみ』(鹿島出版会)が、10月に発行された。2002年に発行された『音楽空間への誘い――コンサートホールの楽しみ』(同)の続編に当たるもので、建築書ではあるが演劇関係者や文化政策研究者の寄稿・インタビュー、全国のケーススタディや取材リポートが掲載されている。

最新刊ということでゼロ年代の公共ホールが事例の中心になっており、その意味では1999年に発行された清水裕之氏(名古屋大学教授)の『21世紀の地域劇場――パブリックシアターの理念、空間、組織、運営への提案』(同)の意思を継ぐ本と言っていいだろう。清水氏自身も本書に寄稿しており、今後の公共ホールの課題として、市民参加の在り方とアーティストとの連携の2点を挙げている。

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小劇場で大切なことはすべてM.O.P.で学んだ

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私に小劇場の楽しさを教えてくれたカンパニーを一つ選べと言われたら、迷うことなく劇団M.O.P.を挙げる。それは私が観客として小劇場にのめり込んでいた時期とカンパニーの成長期が重なり、奇跡のような瞬間にいくつも立ち会えたことが大きい。小劇場ファンなら誰でも、若いカンパニーが信じられない躍進を遂げていく姿を目の当たりにすることがあるはずだ。公演を一回でも観逃すと、次の公演で見違える舞台になっている。だから劇場通いがやめられなくなり、カンパニーの成長と自分自身の軌跡を重ね合わせていたりする。それが私にとってはM.O.P.だったということだ。

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劇場法(仮称)制定後の「天上がり」「制作外注」について考える

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今回は、劇場法(仮称)制定後の現場の変化について考えてみたい。法案自体がまだどうなるか全く見えないが、公共ホールに専門職員を配置し、芸術家とプロデューサーの手に劇場を取り戻すという理念は変わらないと思うので、その延長で考えを巡らせると、現実問題として俎上に載ってくるのが「天上がり」「制作外注」ではないかと私は想像している。

誤解のないように記しておくが、私は別に劇場法(仮称)にネガティブな印象を与えたくてこれを書くのではない。実際にこうした状況が発生するだろうから、それについて心構えをしておくのがよいのではないかというスタンスだ。ためにする議論のつもりは全くないので、そこは間違えないでいただきたい。

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演劇におけるフラッシュマーケティングの可能性

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9月17日のリクルート「ポンパレード」エリア拡大に合わせてだと思うが、この数日間、テレビの情報番組が共同購入型(事前購入型)クーポンサイトの紹介だらけだった。通常は無料のクーポン券を事前に共同購入することで大幅な割引を提供するもので、制限時間と最低販売数が決められている。飲食店以外にも様々なサービス業が参加しており、東京ディズニーリゾートのシルク・ドゥ・ソレイユ『ZED』47%割引クーポンは300枚限定が完売している。

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もう「楽日を何曜日にしたらいいか」なんて議論からは卒業しよう

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地域では、いまだに公演の楽日を何曜日にするのが最も効果的かという議論がある。週末に来場した観客のクチコミを広げるには、日曜で終わるのではなく、平日にこぼれさせて土日を観逃した観客を拾うべきで、休日が週末ではない業界の観客も呼びやすくなる。だからといって水曜日まで上演出来るかというと、これは次の仕込みの関係で難しい。わかりやすく解説しよう。

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誰にどういう立場でなにをしてもらいたいのか

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公共ホールの広報担当だった方が、「京都国際舞台芸術祭2010実行委員会事務局はインターンにどんな指導をしているのだろう」の件について、なにが問題で、どうすればよかったのかをまとめている。依頼文の添削もされているので、参考になるだろう。

(財) 辺境創造 - 箱の外に出てみたら「誰にどういう立場で何をしてもらいたいの?」

小劇場演劇(小劇場)の定義を再確認、「小劇団」なんて言葉はない

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最近、「小劇団」という言葉をよく耳にするようになった。昔からこういう言い方をする人はいたが、あまりに増えると市民権を得てしまいそうなので、ここでダメ出しをしておきたい。なにが小さいのか不明だが、劇場のキャパシティや興行規模に関わらず、劇団は劇団だろう。大小などを付けるべきではない。

「小劇場演劇の劇団」を略しているつもりなら、それも違う。小劇場演劇(小劇場)は演劇のスタイルを示す言葉で、規模を表わしているのではない。「小劇団」などと言うと、意味がわからなくなってしまう。演劇人が自らを矮小化して口にするケースもあるようで、言葉の意味をよく考えて使ってほしい。

小劇場演劇(小劇場)はなにか言えば、fringeでは「このサイトについて」で次のように説明している。

小劇場演劇(小劇場)は、小さな劇場を意味する言葉ではありません。俳優中心に結成された新劇に対し、演出家中心に組織された集団であること。団体客に依存する商業演劇や、演劇鑑賞団体と不可分の新劇と異なり、個人客をベースにした手打ち興行であること。つまり劇場の大小ではなく、カンパニーという小さな組織で、演劇を個人で楽しむライフスタイルを体現したものが小劇場だと私は考えています。小劇場という言葉は決してマイナーを意味するのではなく、夢の詰まった演劇本来の姿だと感じます。小劇場からスタートしたカンパニーは、大劇場で公演するようになっても小劇場演劇なのです。

芸術面では演出家の存在、興行面では個人客中心であること――これが守られている限り、劇場が大きくなっても小劇場演劇(小劇場)だと私は思う。この定義は私自身が長年かけて熟成させてきたもので、共感していただける方は多いと信じている。マイナー感が漂うので、小劇場演劇(小劇場)という言葉を使いたくないという若い演劇人もいるようだが、それは全くの誤りである。

大劇場で上演しているのに小劇場というのは一般客が混乱するので、そこで敢えて小劇場という言葉は使わなくてもいいと思うが、「小劇場から大劇場へ進出」「小劇場を卒業」のように、キャパや興行規模だけで語るような使い方はやめてほしい。影響力のあるマスコミは特に注意すべきだろう。

私は、これからもプライドを持って小劇場演劇(小劇場)という言葉を使っていきたい。

(参考)
小劇場の定義