この記事は2007年7月に掲載されたものです。
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なぜ、そんなに行政に頼るのか

カテゴリー: fringeのトピック以前 | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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読売新聞大阪本社版7月24日付夕刊の「間奏曲」欄に、「精華小跡地、処分検討地入り 大阪文化復権へ協議尽くせ」という記事が載りました。大阪市の売却方針発表を受けてのもので、インターネットやクチコミで「売却決定」が先走り、演劇関係者に波紋が広がっているが、様々な活用案や10年もの期間があるのでじっくり話し合えばよいとの内容です。(聡)の署名入りです。

これだけ見ると正論に思えますが、記者は大阪市の劇場事情や文化行政の歴史を知った上で書いているのでしょうか。大阪市の文化行政は、短い期間で見れば評価すべきものもありますが、一貫した方針や継承されるポリシーがなく、演劇関係者は何度も期待を裏切られているはずです。最近ではフェスティバルゲート売却がよい例で、ここも10年と言っておきながら5年余りで破綻しました。記事中の「幸い処分検討期間として10年間の時間がある」という文章が、空々しく思えます。

大阪市が柔軟な姿勢を持っているのなら、売却方針発表と共にもっと具体的に示すべきで、それがない口先だけの姿勢なら、「売却決定」が一人歩きしても仕方ないでしょう。記事では「扇町ミュージアムスクエア、近鉄小劇場などが閉館するなど、大阪の劇場文化を巡る状況は厳しい」としていますが、その後の新劇場オープンやスペース開拓で、会場自体は現在のほうが増えています。状況が厳しいのは劇場のせいではなく芸術団体自身のせいなのに、いまだにOMSや近鉄小劇場を持ち出すのはどうかと思います。

そもそも、大阪の演劇人がなぜそこまで行政に頼るのか、私は理解出来ません。首長や担当者が変われば、行政の方針は変わってしまいます。稽古場施設というインフラは行政に任せるとしても、最後に表現の自由を確保すべき劇場を行政に大きく頼るのは、私は怖いと思います。世田谷パブリックシアターやAI・HALLなど、自主プロデュースに意欲的な公共ホールの価値は認めますが、貸館の補完的な側面が強い精華小劇場をなぜ重視するのか(主催は精華小劇場活用実行委員会ですが、芸術団体が制作した作品をそのまま持ってきているわけですから、カンパニー側の意識は無料での貸館でしょう)。この記事を書いた記者も、劇場に行政がどうコミットすべきか、廃校の転用なら稽古場施設を中心としたアーツセンターが本来の姿ではないかなど、もっと根本から考えるべきだと思います。

精華小劇場で恩恵を受けていると、大阪市芸術創造館に対して意見を言うことも難しいのではありませんか。矛先が大阪市ではなく罪のない指定管理者に向くのも、そういう力関係があるからではと外野は思ってしまいます。

精華小劇場の劇場費無料はカンパニーには確かに魅力で、ここでロングラン運営を経験することも出来ると思いますが、それに浸りきってしまうと劇場費の発生する民間劇場でのロングランは永遠に不可能でしょう。関西の若手演劇人が痛烈に感じているという「関西演劇界の低迷」を聞くと、行政に頼らず自力で道を切り拓いている東京のパワーを改めて実感します。これは経済力の差ではなく、志の問題だと思います。大阪ではいまだに芸術と興行の両立を疑問視する識者もいるようですが、プロデューサーたちはそれを実現すべく奮闘しているのです。

誤解のないよう書きますが、芸術創造館や精華小劇場がない時代は大阪もそうだったのですよ。惑星ピスタチオや遊気舎はその中で大きくなっていきました。それがOMSの代替劇場を求める動きの中で、行政志向になってしまったのだと思います。私は、大阪の演劇人はもう一度舵を切り直すべきだと思っています。

記事は大阪が生んだ演劇人として、生瀬勝久氏、いのうえひでのり氏の名前を挙げて締めくくっていますが、彼らを育んだのは公共ホールではありません。自由な冒険が出来る民間劇場があったからこそ、彼らが世に出たんじゃないんですか。