もしfringeを開設していなかったら、その余力で私は観客向けのレビューサイトを構築していたと思います。「えんげきのぺーじ」を凌駕する日本一のレビューサイトを目指していたでしょう。「fringe.jp」というドメイン名は、そのために使われていたと思います。
「えんげきのぺーじ」は、もともとNIFTY Serveシアター・フォーラムの敷居の高さに反発した西角直樹氏が、誰でも気軽に感想を書き込める場をつくりたいと設けたものですが、敷居を低くしすぎたために、観客とつくり手双方に影響を与えるべきレビューの役割が薄れてしまったように感じます。一行レビューというコンセプトは悪くないけれど、レビューサイトとしてのミッションが不在なわけです。それは詰まるところ、小劇場界を巡る現在の環境を肯定するか、否定して変えたいと思うかの違いだと思います。
私は、いまの小劇場界を絶対に変えたい。その思いがつくり手のほうへ向いた結果がfringeですが、同じ思いでレビューサイトをつくるとしたら、こういうアイデアを実装するというものを5回に分けてご紹介します。このアイデアは広く公開しますので、いまからでも採用したいサイトがあればご自由にどうぞ。私も、相談を受けたときは誰にでも提案しています。
その1:初めて演劇を観る人に薦められるかのチェック欄を付ける
いまのレビューや演劇評論に最も欠けている視点は、その作品が初めて演劇に接する観客にも薦められるかどうかだと思います。演劇を比較的よく観る人だけに通用するマニアックな評価になってしまっているのが、初心者には非常に不親切だと痛感します。初心者がいまなにを観ればよいのかがわからないのです。
これが映画評なら、初めて映画を観る人のことは考える必要ありませんが、演劇の場合はまだまだ自らの意思で劇場へ足を運んだことのない人が少なくないはずです。その最初の一本で失敗すると、演劇というジャンルそのものを敬遠してしまうことになりかねません。無理やり観せられた学校公演がトラウマになるような悲劇は、二度と繰り返してはならないのです。
例えばチェルフィッチュの作品は、小劇場を観慣れた観客にとってはたいへん興味深い表現ですが、初めて演劇を観る人には私は薦めません(私自身は評価していますが、それでも薦めません)。いろいろな舞台を観ているからこそチェルフィッチュの表現を逆に新しく感じるのであって、最初の一本がチェルフィッチュだと演劇嫌いになる恐れがあります。岸田戯曲賞を受賞していても、それと演劇初体験に適しているかは別の話です。
従来のレビューや演劇評論では、この点が全くわかりませんでした。そこで私は評価・採点とは別に、「初めて演劇を観る人に薦められるか」のチェック欄を設けることを提唱します。あなた自身の評価と、初めて演劇を観る人に薦められるかは別のはずです。あなたにとっては傑作でも、演劇初心者には薦められない場合もあるでしょうし、反対に評価はイマイチでも、最初に触れる作品としては悪くない場合だってあるはずです。デートで出来るだけストライクゾーンの広い作品を探しているときも、このチェック欄は強い味方になると思います。
エンタテインメント系の作品では、評価と他者へのオススメ度は比例すると思いますが、観客を選ぶアーティスティック系の作品は、その部分を客観的に伝えることが難しかったと思います。他者へのオススメとはなにかを考えたとき、それは「初めて演劇を観る人に薦められるか」という言葉に置き換えられるのではないかと私は思ったのです。
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「私ならレビューサイトをこうする」全5回
- 私ならレビューサイトをこうする(1)(本記事)
- 私ならレビューサイトをこうする(2)
- 私ならレビューサイトをこうする(3)
- 私ならレビューサイトをこうする(4)
- 私ならレビューサイトをこうする(5)
初めて学校公演を無理矢理見せられた演劇体験を、演劇嫌いを助長させる理由とするなら、下らない小劇場を同じ論点で論じないと言うことは片手落ちです。実際に、あまりに外れが多すぎる小劇場で「お金を払ったのにマスターベーションを見せられた」という体験は多いと思います。小劇場への入口を模索するという提言は素晴らしいのに、なぜそれを学校公演批判へと転嫁するのか?その論点、主旨がわかりません。学校公演作品にも良い作品はあり、世界の児童青少年向け演劇には素晴らしい作品が数多くあります。それらを見てから発言すべき内容だと思います。この思いこみ発言に小劇場関係者がまた影響され、断定的発言をすると思うと暗鬱たる気分です。この際、ジャンルではなく、「良い物はいい、下らない物は下らない」と言えば良いだけではないでしょうか?
私が学校公演を批判する理由は、文中でリンクしている「学校公演の改革を提言する」で述べています。学校公演の作品がダメとはひとことも書いていません。そちらをよくお読みいただきたいと思います。
学校公演をここに書いた主旨は、なにごとも最初が肝心という思いからです。
「最初が肝心」という主旨であるなら、小劇場体験も最初が肝心だと思うのです。小劇場と学校公演を比較するような観点で書かれている内容だと思うからこそ、批判をするわけです。
荻野さんにはそのような観点はないのかもしれませんが、そのような表現として受け取る人間がかならずいると思うからこその反応です。比較をする必要は感じない提言ですし、学校公演の本質、現状をお知りになれば、もっと違う感想が出てくると思うのです。確かに、子供だましの表現で学校現場を跋扈する団体がいるのは事実です。ですが、本当に子どもたちへの表現を考え、大人をも魅了する舞台を繰り広げている舞台人も居るのです。才能のあるなしはどの世界にもあります。荻野さんの他の文章を見たら確かに、ぼくの提言はいささか的を外しているかも知れない。しかし、この文章だけしか読まない人間が居たとしたら、それをどう理解できるのかと問いたい。この文章には小劇場と学校公演を区別して論じる観点を感じます。ぼくは小劇場が学校公演より優れているとは思っていないし、その垣根を作る必要などないと思っています。
>その作品が初めて演劇に接する観客にも薦められるかどうかだと思います。
私ならレビューサイトをこうする(1)を拝見しました。
レビューサイトをあらたに作るとして、「その1:初めて演劇を観る人に薦められるかどうか」の視点を加えるという意見に全く賛成です。
あとはレビュアーの方にも、常日頃からこの視点をもっていただいて、はしっ…
小劇場は自分の意思で観るものですが、学校公演は学校側が決めた作品を全員で鑑賞する場合がまだ多いと思います。自分で作品を選べないという点で、学校公演の責任は小劇場より遥かに重いと思います。小劇場と学校公演を区別する理由はここにあります。
作品だけで比べれば、小劇場より学校公演が上かも知れません。けれど、観客がどのような過程で作品に接するかは、それ以上に重要なことだと思います。