谷瀬さんも書かれていますが、福岡のギンギラ太陽’sが東京初公演、それもパルコ劇場という前例のない展開になりました。
主宰の大塚ムネト氏は、私も遊気舎時代にたいへんお世話になりました。元々は後藤ひろひと氏のワークショップ受講者を中心としたAUD SHOT『博多駅前信用金庫』に参加され、それが縁で大田王に出演、遊気舎の2回に渡る福岡公演も協力していただきました。失礼ながら、最初かぶりもの劇団と聞いたときは既存のショー的な内容を想像しましたが、目にしたかぶりものの完成度に驚き(衝撃を受けた川下大洋氏がドナインシタイン博士の世紀末学会『大阪の歩き方』に採用したほど)、現地で拝見した公演ではその物語性の高さに感動しました。
確かに地元密着ネタで、地元の固有名詞が山のように出てきます。地元の事情を知らなければきついのではと思う方もいるでしょう。けれど描かれる内容は普遍的なもので、繁華街の流通戦争、製菓業界の興亡、航空業界の裏側など、自分の周囲に置き換えれば充分楽しめるものばかりです。医学の専門知識がない視聴者でも医療ドラマに熱中出来るように、九州の知識がなくても物語性が高ければ観客はついてこれます。かぶりものという特殊なスタイルを取っているため、どうしても色眼鏡で見る評者もいるようですが、物語を機軸にした非常に真っ当な演劇だと思います。かぶりものがダメだという人には、「じゃあ、能はどうなんですか」と言いたいですね。
ギンギラ自身は地元密着のカンパニーとして、旅公演をするよりも、全国から福岡に観に来てくれるような存在になりたいと願っていたようですが、そのためにも一度は東京公演をしたほうがいいんじゃないかと勧めてきました。維新派が大阪を本拠にしつつも、存在を示すために(大阪まで行かない腰の重い東京の評論家連中に観せるために)、汐留で野外公演をやったのと同じです。同じやるならインパクトのある場所がいい。その意味でパルコ劇場は最高の舞台です。
ギンギラの快挙は札幌のTEAM-NACSを連想させるかも知れませんが、あちらがマスコミ中心の活動なのに対し、ギンギラは舞台中心で作品が地域と密接に関わっています。地域で演劇活動をしていく際の全く新しいモデルケースで、大げさではなく日本演劇史に残る存在だと思います。最終的なアウトプットの形態は違いますが、地域の記憶を取材して物語に再生するというコンセプトは、トリのマーク(通称)と同じです。アーツマネジメントの研究者や学生は、ギンギラこそ論文の対象にすべきでしょう。『現代演劇のフィールドワーク』が提示出来なかった未来像が、ギンギラにはあります。
ギンギラ太陽’s東京公演
ギンギラ太陽’sを絶賛するを読みました。
荻野さんならではの鋭い分析で、地元にいながら気付かなかった事ばかりです。
たしかにギンギラは「かぶりもの」という要素のせいで、ショー的な見られ方を
されることがあったようです。
「ビルがかぶりものにより擬人化さ…
ひよこ侍、イムズマン知ってる?
ギンギラ太陽’sが、東京進出。今朝の西日本新聞しった。 お題は「翼をくださいっ!
ギンギラ太陽’s が東京に来てくれる!
心の隅にずぅっと引っかかっていたこの劇団。東京公演をしてくれるとなれば観に行くしかないです。