この記事は2004年4月に掲載されたものです。
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小劇場におけるロングラン公演の可能性

カテゴリー: 京都下鴨通信 | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 杉山準 です。

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京都では小劇場でのロングラン公演がこのところ注目を集めています。ロングラン公演について私の考えをかいつまんで述べてみたいと思います。
 

京都でのロングラン公演が注目を集める理由の一つは、劇場がその公演をプロデュースしている点にあると思います。アートコンプレックス1928がその口火を切ったわけですが、京都芸術センターでの主催事業や私がプロデュースするアトリエ劇研でも通常よりあえて長く公演数を設定した劇場主催の公演が目立ってきました。
 私は劇場の大きな役割の一つは、いい作品を社会に成り代わり評価することだと思っています。評価というのは、劇場が財政的や社会的責任を伴ってその作品もしくは劇団を観客に提示していくことだと思います。それからすると、なるべくいろんな人がその作品を見に劇場に足を運んでくれる仕掛けや、そうしやすい環境を設定することが必要なのだと思うのです。小劇場ならではの小さな空間にこだわった演出がなされた作品や、小劇場でこそ、その魅力を発揮できる作品は存在します。そういった作品に何とか評価の目を向けさせる一つの手段は長い期間公演を行うことだと思うのです。私がやってみて実感したのは、作品が良ければ観客は増えていくということです。評判を聞きつけてやってこられたお客さんが何人もいらっしゃいました。これこそが一つの説得力ある健全な作品評価であると思うのです。
 民間劇場での問題点は、貸し館をしないと事業が成り立っていかないことです。貸し館で作品の歩留まりをキープしていくことは、作品の絶対数が限られている京都の現状ではなかなか困難です。また仮にすばらしい作品があって、お客さんの反応がすこぶる良くても、終演日は限られており、無期限に公演日を延長していくことが経営上できないのです。民間劇場でも公的助成が受けられるような態勢ができてきましたが、志ある劇場へのそうした支援策は、劇場が作品の評価機関たりえるためには不可欠だと考えています。
 また、ニューヨークでもロングランできる作品は全体の4分の1であると聞いたことがあります。ロングランできる作品はそう簡単に生まれないということです。しかし、ロングランに耐える作品を作る心構えや、その態勢作りなくしてはやはりロングランできる作品は生まれないでしょう。つまり、失敗を恐れずロングランを仕掛ける先に、真にロングランに耐えうるいい作品が生まれるのではないかと思うのです。 


小劇場におけるロングラン公演の可能性」への1件のフィードバック

  1. 新中立公平日記

    小劇場ロングラン公演の可能性

    以下は、京都の小劇場のプロデューサーが書かれた一文です。

    > 私は劇場の大きな役割の一つは、いい作品を社会に成り代わり評価することだと思っています。評価というのは、劇場が財政的や社会的責任を伴ってその作品もしくは劇団を観客に提示していくことだと思いま…

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