平田オリザ著『芸術立国論』(集英社、2001年)では、公共性という概念は「ある/ない」ではなく、「高い/低い」を問われるべきだとした。これは私もそのとおりだと思う。演劇や劇場について語るとき、当然「高い/低い」で考えるべきだろう。だが、具体的な一つ一つの公演日程や開演時間についてはどうなのか。「演劇の公共性」という概念が一人歩きをしてしまい、「公共性がある」ことを大前提にしていると、そこで思考停止になってしまわないか。こうした興行に関わる具体的な課題に関しては、「ある/ない」の視点で考えることも必要だと私は思う。
「アクセス」という言葉は、その公演への接しやすさという意味で使用した。内容を読めば、都市部の現代演劇公演を念頭に書かれていることがわかると思うのだが、揚げ足取りのような反論があるのは残念だ。距離的に遠い場所での公演は、その場所で上演すること自体に意味があるのだから、やったらいい。その代わり、観客が観劇旅行の準備が出来るよう、開催3か月前に詳細な日程を公表するなどの配慮が必要だ。能狂言は一日興行が本式で、薪能は由緒があってその日に上演するのだから、複数日に開催することが逆におかしい。平日の早い時間のほうが来やすい観客も当然いるだろう。そうした観客には平日マチネを設ければいいわけで、今回問題にしている平日ソワレとは関係ない。ぜひ同じ土俵で議論していただきたい。
開演時間を遅くすることは、サービス残業を許容するものだという意見もあったが、これも今回の問題とは全く関係ない。東京の都心に勤めていても、ドアツードアで1時間程度かかる劇場は多い。定時が17時半の職場では、たとえ時間どおりに仕事が終了したとしても、後片付けなどで実際に職場を出るのは17時45分くらいになるだろう。19時開演だとギリギリの到着になる。これが19時半だと余裕が出来る。
土日だけという「短すぎる公演日程」、平日19時より前の「早すぎる開演時間」は観客の選択肢が狭められ、幅広い層が接することが難しい公演になる。こうした公演日程・開演時間で地域の住民を幅広く集められるのならいいが、都市部で演劇公演をする以上、多様な職業の観客が足を運べるよう、公演日程や開演時間は出来るだけ配慮をしたい。離島の診療所ならやむを得ず週に数日しか診療しないところもあるだろうが、都市部の病院が週に数日しか診療しなければ、「それって病院なの?」と思われても仕方ないだろう。演劇や劇場も同じではないだろうか。
これは観客の利便性というより、カンパニーの存在意義に関わることだと思う。カンパニーが都市部で演劇公演する目的は、より多くの観客に表現を届けたいからではないのか。それなのに公演日数や開演時間の配慮をせず、「どうしても観たいなら来るはず」と考えるのは、本末転倒ではないだろうか。アウトリーチも重要だが、「アクセスしやすい公演にする」ことはさらに重要ではないだろうか。
演劇を巡る環境を改善するには、様々な外的要因だけでなく、演劇人自身による興行面の見直しも欠かせない。もちろん、社会そのものが変わっていってほしい面もたくさんある。だが、それと平行して「自分たちで出来ることはやったらどうか」というのが私の主張である。別に全国どこでも1週間単位で公演しろと訴えているわけではなく、東京以外の地域で土日だけの公演が目立つので、それを金土日または土日月にするところから始められないか、と言っているのだ。そうした自助努力さえ放棄するのなら、それは助成金の対象外になっても仕方ないだろう。
(参考)
短すぎる公演日程や早すぎる開演時間の演劇は公共性がない