この記事は2011年12月に掲載されたものです。
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短すぎる公演日程や早すぎる開演時間の演劇は公共性がない

カテゴリー: フリンジのリフジン | 投稿日: | 投稿者:
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11月19日~20日に京都でNPO法人フリンジシアタープロジェクトと開催したラウンドテーブル&ケーススタディ「地域での小劇場ロングランをめざして」は、長期に渡るロングランというより、週末だけの公演が多い地域で、1日単位でいいから公演日数を延ばしていこうという思いを込めた企画だった。

京都で開催したのは、特に京阪神で公演日数の短縮が著しいと感じたからである。90年代は京阪神でも1週間単位の公演がめずらしくなかったが、最近は4日間程度で目立つ印象があり、千秋楽を月曜や火曜に設定するケースも限られている。

「演劇NAVI」が全国の月間劇場スケジュールを掲載しているので参照していただきたいが、東京以外の小劇場は、土日の2日間または金土日の3日間が大半を占める。民間劇場でこれだけ稼働率が低いと、どうやって経営していくのだろうかと心配になるほどだ。

ラウンドテーブルでは様々な意見が出たが、こうした傾向の背景には、現在の動員数から逆算して、ちょうどいいキャパシティの劇場をちょうどいい日数しか抑えない安全志向があるようだ。例えば、80名程度の劇場でやっていたカンパニーが150名程度の劇場を使う場合、ステージ数を半減してしまうことが多いため、公演日数が短縮するという。本来なら、大きい劇場を使うときは観客を拡大するチャンスなのだが、「わかってくれる人だけ観てくれればいい」という考えなのだろう。少人数のユニットが増加し、公演期間を支える制作力も不足しているようだ。

確かに客席1席あたりの単価は、劇場規模が大きくなるほど割安になることが多い。ステージ数を減らして客席が満席になれば、劇団員のモチベーションも上がるだろう。現場からはそういった意見も出たが、果たしてそれで本当にいいのだろうか。

このとき議論が、週末だけの公演に公共性があるのかということになった。ちょうど同じ日に、Twitterで「舞台公演に平日19時半開演、20時開演の回を増やしてほしい」が話題になっていたが、ラウンドテーブルでも公演日数や開演時間の意味を考えた。

週末だけの公演だと、そこで勤務する業界に勤めていると、仕事を休まない限り観劇が難しい。その点について、少なくとも平日を含めて選択肢がなければ、公共性があるとは言えないのではないか。カンパニーだけでなく、それを上演する劇場にも同じことが言えるのではないか。平日の早い開演時間も同様である。

演劇の公共性を考えたとき、その作品に容易にアクセス出来るかは重要な観点だと思う。非常に短い公演日程や平日の早い開演時間は、アクセスを著しく損なうものであるから、公共性があるとは言い難い。そうなると、どんなに作品が優れていても、それが上演される状況を含めて評価されなければならないのではないか。公共性がない作品には、当然ながら公的助成を受ける資格もないのではないか――ということを私が発言した。

このブログでは、2009年2月のtoi平日18時半開演(シアタートラム ネクスト・ジェネレーション)、10年2月の突撃金魚平日18時開演(こまばアゴラ劇場「冬のサミット2009」)など、観劇が難しい公演を取り上げてきたが、これまでは集客・創客、観劇機会の提供などの観点から考えていた。「演劇の公共性」は作品自体にあるという思いから、興行面とは分けて考えていた部分があったが、今回議論しているうちに、どんなに作品自体が素晴らしくても、アクセスが難しいものは、それ自体が公共性に乏しいのではないかと感じてきた。演劇において、作品と興行は不可分の関係にあり、それ全体が観客にとっての演劇である。

これは自分でも一歩踏み込んだ思考で、長年澱のようにたまっていたもやもやが言語化出来た気分になり、頭がクリアになった。私の言いたいことは、これだったんだと思った。

短すぎる公演日程や早すぎる開演時間の演劇は公共性がない

観劇機会の提供などより、もっとシンプルに、アクセスが悪い演劇に公共性はないのだ。toi平日18時半開演に私がこだわったのも、公共劇場を標榜する世田谷パブリックシアターの主催だったことが根底にあったと思う。たとえバラシでも平日18時半開演は避けるべきだし、どうしても変えられないのなら、シアタートラム ネクスト・ジェネレーションの日程自体に無理があったのだと思う。このことは、劇場の担当者にも直接お伝えしたし、いまも信念として変わらない。

10年度からシアタートラム ネクスト・ジェネレーションは全参加カンパニーを木~日の4日間公演にした。「サミット」も11年度から〈汎-PAN-〉に改まり、参加団体に週末公演の機会を保障することになった。現在のところ、ダンス以外は週末を含む公演になっている(ダンスが平日のみでよいのかは疑問だが)。口に出して言わなければ、世の中は変わっていかない。

「演劇の公共性」を口にする演劇人は多いが、そのとき公演へのアクセスをどれだけ念頭に置いているだろうか。公共性を突き詰めて考えたとき、アクセスが悪い演劇、それを上演する劇場に、果たして公共性があると言えるだろうか。平田オリザ氏の受け売りで、「公共性」という言葉が一人歩きをしていないだろうか。公演日程や開演時間を考える機会の多い制作者は、公共性とはなにかをいま一度見つめ直してほしい。これを自覚出来たことが、私自身にとってラウンドテーブルの最大の成果だった。

(参考)
短すぎる公演日程や早すぎる開演時間の演劇は公共性がない(2)