制作者募集の告知をチラシやサイトでよく目にしますが、「これでは応募しないだろう」と感じることが多いです。それはなぜか。募集する側が制作業務に手を焼いていて、誰かに任せたいという空気が伝わってくるからです。
きちんと報酬を出す仕事としての募集ならともかく、小劇場系の多くはノーギャラで好きでなければ出来ない世界のはず。ならば、少なくとも「制作はおもしろい」という雰囲気が伝わらなければ、誰が応募したいと思うでしょう。自分たちがやりたくないから募集するのではなく、嘘でもいいから「本当は自分たちがやりたいけれど……」という思いを前面に出してほしい。俳優を募集するときは、募集する側がその魅力をわかった上で募集していると思います。制作者募集も同じことです。
カンパニー全体で制作という行為を楽しむことを体現していたのが、惑星ピスタチオだと思います。大阪市が舞台芸術総合センター(仮称)プレ事業として毎年開催している「舞台芸術ワークショップ・大阪」で、1997年をデヴィッド・ルヴォー氏(tpt)、惑星ピスタチオ、遊気舎が担当したのですが、ピスタチオの西田シャトナー氏は制作の重要性を力説し、劇団活動そのものに焦点を当てたワークショップにすると語っていました。制作ワークショップではなく、普通に俳優も参加するワークショップでの話です。募集により制作者が参画してみようと思うのは、そうしたカンパニー全体の制作に対する感受性に触れたときではないかと思います。
サイトの上演記録や掲示板の応対を見るだけで、そのカンパニーの制作に関する考え方はわかります。制作者募集をする前に、いまいる劇団員でまずしなければならないことがあるのではないでしょうか。劇団員が制作のおもしろさを感じ取れない限り、有能な専任制作者が応募してくれる土壌は育めないのではないかと思います。
人は、自分を本当に必要としているところへ行きたいと思うものです。必要というのは、その必要性を本当にわかっているということです。
気を失う。
fringeにあるコラム「そんなんじゃ制作者は来ない」最後2行を納得して読む。
粛々と定期考査2日目。劇部以外の仕事を進めるが、上演許可の段取りだけはやっておく。
夜、もりげきメイン・タウンではなく、組合の支部総会。高文連事務局のFさんとカルチャーキャンプにつ…