初めて接する作品なのに、どこかで観た記憶があるシーン、どこかにあった設定や台詞に出くわし、デジャ・ヴュのような感覚に陥ることがよくあります。先日観たカンパニーなどデジャ・ヴュの連発で、初見のはずなのに2回目ではないかと思い、念のため上演記録を確かめたほどです。
つくり手は作品のオリジナリティを自負しているのでしょうが、意図せずに過去の作品と類似してしまうことは、決してめずらしいことではありません。小劇場で無数の作品が上演されている日本ですから、観劇歴の長い観客ほど、こうしたデジャ・ヴュに襲われていると思います。当然ながら、作品への評価は厳しくなります。白紙の状態で出会ったなら感動する作品も、ベテランの観客には既存作品の寄せ集めに見えることがあるのです。
つくり手は釈然としないかも知れませんが、これはあとから生まれてきた者の宿命であり、仕方のないことです。どんなに素晴らしい物語を生み出したとしても、偶然同じ内容が先に発表されていたとすれば、その価値は半減してしまうでしょう。推理小説で、先に発表されたトリックが使えないのと同じです。それを防ぐためにも、つくり手は世の中でどんな作品が発表されているかに、絶えず気を配ってほしいと思います。演劇人の中には、他の作品に興味がないという方も少なくないようですが、作品の類似を防ぐためにも、情報を得ておくことが重要だと思います。もちろん、演劇以外のジャンルに対しても。
劇作家が気づいていないなら、制作者が進言すべきでしょう。客観的に世の中の他作品を見渡し、その類似性を指摘するのは、制作者ならではの役割だと思います。どんなに有能な劇作家でも、表現の全ジャンルに目配せするのは不可能でしょう。小説や映画にはないと思っていても、コミックスの世界では有名な設定かも知れないのです。
適切な年間観劇本数を考える
本当は年が明けてから書こうと思っていたのですが、立続けに同じようなblogを読んだもので、こんな話題で書いてみます。この場合の「適切」とは、創る側の人にとって、