先日、東京の劇作家とお酒を飲む機会がありました。それが当然かどうかはよく分かりませんが、やはり話は東京と関西の演劇事情になってきます。そしてその方は仰いました。
「関西はぬるいんだよね」
来たぞ来たぞ。僕は残ったビールを飲み干して耳を傾けました。
はじめまして。京都にあります劇場「アトリエ劇研」の制作スタッフで、田辺と申します。「京都下鴨通信」では京都の演劇事情を中心に、わたくし田辺と当劇研プロデューサーの杉山が交互で書かせていただくことになりました。つるんだ二人の見方なので偏りがあるかもしれません。「それは違うだろ」ということがあればぜひご意見をお寄せください。よろしくお願いいたします。ちなみに「下鴨」というのは当劇研が「下鴨」という地域にあることからつけました。
さて、話の続きを。その劇作家は仰います。
「東京は、ほら、どんどん劇団とか淘汰されていって、情報誌なんかからもすぐ消えちゃうんだけど、関西はそういうのないよね」
この方は最近関西にもよくいらっしゃるようで、そのようにお感じになられたようです。それを聞いていた先輩はすかさず
「だから、僕らは生き残ってるんですよ」
と返すのでした。
重要なのは「生き残り方」だと思うのです。その劇作家のように演劇をすることがプロフェッション(職業)として成り立ちそのように続いていくか、仕事は別にあってそれと舞台創作を両立させようとするか、あるいは完全な趣味としてやっていくか。先の劇作家が仰った「淘汰」というのは「プロを目指していたが挫折してやめた」ということになると思います。もちろん東京で演劇をしている人のすべてがプロを目指しているわけではないと思いますが、少なくとも「売れるか売れないか」は京都よりもずっと問題になるはずです。
京都。その劇作家は「関西」と仰いましたが、話はとりあえず京都に絞らせてもらおうと思います。この時期すんごく寒い京都はしかし演劇をする雰囲気にはある「ぬるさ」がつねに漂っているのも事実です。東京からは遠く離れ、けれども大阪ではないということ。電車で四十分という距離ですが、大阪の人が「今日は京都でぶらっと観劇」とはなかなかいきません。この微妙な地理のずれ加減が京都の、京都の演劇の独自色を良くも悪くも作り出しているのだと思います。
[つづく]