スタジオジブリの月刊広報誌『熱風』に、2月号から高萩宏氏(世田谷パブリックシアター制作部長)が「夢の遊眠社と僕と演劇プロデューサーの仕事」を連載しています。同社サイト「出版部だより」の2月17日付によると、同誌が2005年5月号で組んだ特集「僕が演劇を続けてこられたわけ」が縁で、膨大な資料を駆使した80年代回顧録が始まったようです。ちなみに「僕が演劇を続けてこられたわけ」は、高萩氏のほか渡辺昭夫(こまつ座)、成井豊(演劇集団キャラメルボックス)、佐藤信の各氏が登場しました。
「夢の遊眠社と僕と演劇プロデューサーの仕事」は、1回分がA5判の同誌で8ページあり、読み応えあります。これまでのサブタイトルは第1回「野田秀樹との縁」、第2回「ついに脱サラ。想定外の道」。第3回「動員を増やせ!!」は伊藤蘭さんの遊眠社出演と、そのとき初めて導入した指定席のエピソード、DM宛名書き用にタナックを購入した話なども出ていて、興味津々です。ランちゃん出演をスクープした有名なスポニチ記事のスクラップも掲載されています。
『熱風』は非売品で毎月10日発行。全国のジブリ関連書常設店で入手出来るほか、定期購読も受け付けています。「スタジオジブリの好奇心」と謳っているだけあって、特集の内容は多岐に渡っています。例えば4月号の特集は「落語の愉しみ」ですが、なんと筆者に北村薫氏と山下達郎氏を迎えています。素晴らしいセンスだと思います。
余談ですが、遊眠社が80年代半ばに事務所を置いていた品川区大崎のマンションが、私が住んでいたマンションのすぐ近くに現存しており、前を通るたびに「ここに遊眠社があったのか」と感慨深いものがありました。当時の熱い青春記を楽しみに拝読したいと思います。
鴻上尚史さんについていろいろ調べる必要が出てきまして、2~3月は80年代の小劇場ブーム関係の資料も読んでいたのですが、「朝日のような夕日をつれて」の初演版を調べるために三一書房の現代戯曲大系を読んでいたら、月報で高萩さんが寄稿されていました。夢の遊眠社時代のことを書かれていたのですが、驚くのは同じ月報に寄稿している渡辺えり子が旗揚げの時の苦労を連綿と綴っているのに対して、高萩さんは、動員数と売上をこと細かに記録して、どうやって動員を増やすために苦心したかを書いていました。本当に日本一の動員を獲得するために苦労していたんだな、というのを思ったのと同時に、高萩さんの演劇についての情熱はどこにあるのか、不思議に思ったりもしました。
その月報は高萩さんが劇団を離れてジャパンフェスティバルの仕事を始めたときから10年目に当たるときに書かれたものなのですが、今はちょうどその月報が掲載された本が出てからちょうど10年。転機になる時期にいろいろなところに貴重な資料を残している形になるわけです。
いつか高萩さん個人にはインタビューしたいと思ってますが、まずはこのジブリの広報誌を拝読したいと思います。荻野さん、情報ありがとうございます。