シネマライズ上演中に『神童』を観ることが出来なかったので、シネマート六本木に駆け込みました。原作が素晴らしいので映画もそれなりの出来ですが、コメディ部分をそぎ落としてアーティスティックな仕上がりにした分、地味になった印象です。まだ各地で続映中。スクリーンで観るべき映画だと思いますので、お近くの方はどうぞ。
さそうあきら氏の原作は『Weekly漫画アクション』に連載されました。クラシック漫画の先駆的作品として有名で、私も連載時にときどき読んでいました。今回コミックスを買おうとしたら、家人が前から持っていました(こういうことがよくあります、アブナイアブナイ)。文庫版全3巻なので一気読みをオススメします(文庫のほうが加筆されています)。平成10年度文化庁メディア芸術祭では、「音がない漫画でも音楽を描くことができることを見せた」「漫画の新しい可能性を示した作品である」として優秀賞を授賞しました。
スタッフ・キャストは演劇人が目立ちます。萩生田宏治監督は維新派の舞台美術スタッフ出身、美術には同じく90年代の維新派を手掛けた林田裕至氏。俳優は串田和美氏、吉田日出子氏、江本明氏と自由劇場出身者が3名も。キムラ緑子氏(劇団M.O.P.)、甲本雅裕氏、浅野和之氏に加え、安藤玉恵氏(ポツドール)も重要な役です。
こうした音楽を描いた映像作品を観てうらやましく感じることは、音楽そのものの魅力をきちんと伝えていることです。演奏シーンがあることで表現しやすいのかも知れませんが、演劇を描いた映像作品を考えたとき、演劇の本質的な魅力を伝えた作品ってどれだけあっただろうと思います。単に演劇をモチーフにしただけ、劇団を舞台にしただけの作品が多いのではないでしょうか。ドラマ「下北サンデーズ」が低視聴率で回数短縮に終わったのも、人間関係を描くことに力点が置かれ、演劇自体の魅力を伝えていなかったからだと思います。
ドラマ「のだめカンタービレ」の最高の手柄は、敷居が高いと感じていたクラシック音楽を視聴者の元に引き寄せ、クラシックそのものの魅力を実感させたことです。学園ものやラブコメディとしての面白さはもちろんありますが、いちばん大切なのは「クラシックって改めて聴くといいものだな」と視聴者に思わせたことでしょう。第1回で千秋とのだめが演奏するモーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」ニ長調、このシーンで千秋は純粋に音楽を楽しむ気持ちを思い出すのですが、原作を知らない視聴者にもクラシックの素晴らしさが伝わる好シーンでした。私はドラマ成功の鍵はこのシーンにあったと思いますし、敏感な原作ファンを納得させたのも、クラシックに対する真摯な姿勢があったからだと思います。
「下北サンデーズ」は意図的に学芸会風のドタバタシーンを描いて、視聴者のイメージをさらに固定化してしまいました。小劇場=貧乏の構図も同じです。河原雅彦氏、堤幸彦氏という、せっかく小劇場に精通しているスタッフが関わりながら、なぜこのようなコンセプトになったのか、本当に残念です。
バラエティでも貧乏生活の代表と言えば小劇場の俳優が出てきますが、そういう展開はもうやめましょうよ。確かにお金がない人は多いと思いますが、カンパニーに富裕層の子女がいて公演を支えていたり、派遣社員と両立させているのは決してめずらしくありません。小劇場=貧乏のイメージは、演劇の観客をますます限定させます。俳優はそういう企画に乗るべきではないし、その功罪を考えるべきだと思います。
小劇場という言葉だけで表わせない多様な表現が毎夜上演されていることを、世の中のほとんどの人々が知らないでしょう。普通に思い浮かべる会話劇ではない上演形態や、想像を超えた舞台美術もあることでしょう。映像のフレームで切り取るとダメになってしまうものも多いと思いますが、それでも人々に「こんな演劇もあるんだ」と思わせるシーンが欲しいですし、保存出来ない演劇という表現の美学を伝える物語は出来ないかといつも思います。
映像作品に関わる演劇人は多数います。演劇という知り尽くした世界だからこそ、真の魅力を映像化してほしいと思います。
スクリーンじたいが理想の「第4の壁」なので、それ以上のしかけの工夫のしようがないのでは?