この記事は2006年3月に掲載されたものです。
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宮脇書店に感謝する

カテゴリー: fringeのトピック以前 | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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正月の箱根駅伝を見ていると、宮崎出身の選手が「出来れば復路を走りたい」と語っているのをよく耳にします。テレビ宮崎は全国唯一の3局クロスネットで、箱根駅伝の往路は深夜にダイジェスト放送し、生中継は復路のみになっているからです。

当たり前のように民放5局を見て育った地域の方には実感しにくいと思いますが、子供時代に何度も引っ越しを経験した私にとって、とても共感を覚える言葉です。特に千葉(5局)から香川(当時2局)に移ったときは、どうしてもフジテレビ系が見たくて、テレビ新広島が開局するのを知って親に高性能アンテナとブースターをせがみ、瀬戸内海の隙間を縫って微弱な電波をなんとか受信していました。1975年の話です。大げさではなく、その地域でテレビ新広島を見ていたのは、私の家だけだったと思います。

その後、香川は岡山と相互乗り入れし、テレ東系のテレビせとうちも開局して、逆に全国屈指の電波銀座になりましたが、当時は山に阻まれ私の家は岡山の電波が全く入らず、アンテナ工事店も驚く費用をかけました。

異なる環境に放り込まれて友達が出来なかったのもつらかったし、それを癒してくれる好きな番組が見られなかったのもつらかった。限られた番組の中、「俺たちの勲章」(主演/松田優作+中村雅俊)の主題歌を口笛で吹きながら、寂しさと闘いながら下校した日々を鮮明に覚えています。田舎の定義はいろいろあると思いますが、テレビっ子だった私にとって、民放5局から2局に減ったことが、なによりも田舎を実感させました。テレビゲームなど全くない時代ですから(ファミコン誕生は83年)、テレビの存在はいまよりも大きく、この気持ちは引っ越し・転校経験者ではないとわからないでしょう。

首都圏以外に本拠を置くカンパニーにとって、東京の存在は首都圏在住者が考える以上に大きいものだと思います。それは過大評価の面もありますが、地域の経験に裏打ちされた実感でもあるでしょう。両方をリアルに知る者として、fringeでは絶えず地域に目を向け、首都圏とのバランスを考えながらコンテンツを制作しています。読者の方は、用語の使い方や表記に独特のルールがあることにお気づきでしょう。「出来れば復路を走りたい」という選手の存在を忘れることなく、これからも真の全国サイトを提供したいと思います。

テレビと引き離された香川時代でしたが、その代わり本には恵まれました。いまや全国チェーンとなった宮脇書店があったからです。

「本なら何でも揃う」というキャッチフレーズに偽りはなく、その品揃えは素晴らしいものでした。私が通っていたのは本店でもなんでもない坂出店でしたが、広い店内(坂出駅裏のボウリング場=シオタボウル=があった塩田ビル1フロア全部が店舗でした)にマニアックな専門誌や小出版社のコミックスが並び、都会の大書店に匹敵する棚だったと思います。中でも『噂の真相』を高校時代に創刊号(79年)から手にすることが出来たのは、恵まれていたと思います。宮脇書店と競合する他書店も小さいながらそれぞれ特色を出し、人口7万人弱の街なのに、どんな本でも市内数店の書店巡りをすればほぼ確実に入手出来ました。本については、東京都心に住んでいるのと遜色ありませんでした。

ご存知ない方もいると思いますが、宮脇書店は流通する全書籍を置く宮脇カルチャースペース(在庫約60万点! 当初は地区規制・大店法で展示のみでしたが、規制緩和で現在は購入可能)や、全国の住宅地図が揃うゼンリン住宅地図センターなど、驚愕の店舗を設けています。私は日本一の書店だと思いますし、いまの私のかなりの部分を宮脇書店が支えてくれたと思っています。

地元に住んでいると当たり前すぎて実感しないかも知れませんが、宮脇書店のように離れてみて価値がわかる、地域ならではの存在がどこにでもあると思います。讃岐うどんブームはマーケティングの勝利だと思いますが、そんなブームがなくても、香川の人々は普通に毎日うどんを食べていました。坂出市の鎌田醤油は、当時の私にとってロゴマークが恐ろしいだけの存在でしたが(失礼)、いまや全国で〈お取り寄せ〉の定番です。自分たちの地域の魅力や可能性を再発見して、次はそこで暮らす観客の楽しみとなる舞台を提供してください。

どんな地域にも、そこで成功するための戦略が必ずあるはずです。


宮脇書店に感謝する」への3件のフィードバック

  1. 斎藤 努

    地域の話に強く共感して思わず書き込んでいます。
    私は大学で大阪に来るまで、高知県で育ちました。
    高知県は、僕が高校2年生まで民放2局でした。
    高校3年で高知さんさんテレビが開局し、フジテレビだけは都会と同じように流れるようになりました。
    それが今からわずか8年前です。
    しかも、現在も以前民放3局です。
    笑っていいともをお昼に見た事のない人間でした。
    (笑っていいともは夕方5時から放送してましたので)
    今でも過去に見たテレビの話をするとギャップがあります。
    ただ、その反動かわかりませんが、高知県は文化的には発達した県だったのかもしれません。
    思えば小さい時から親子劇場をよく見てましたし、今でも様々な文化的企画を行っています。
    私もいずれは地元に貢献できるような事ができればいいなぁと思ってます。
    なんか、変な田舎話ですいません。
    勢いで書いてしまったので、失礼しました。

  2. 菜子

    宮脇書店、いつのまにか全国チェーンになってたんですね。
    香川で生まれ育ち、書店と言えば宮脇!でした。
    今は千葉に住んでいますが、こちらは東京まで行かないと
    なかなか欲しい本が手に入りません。
    離れてみて初めて分かる地元の良さ、のひとつでした。

  3. 更紗

    この4月から宮脇書店で働き始めました。
    私もその地元ならではの良さに共感し、それに貢献したいと思ってはいったのですが・・・

    企業としては良いとはお世辞にも言えません。
    紀伊国屋が入ったらつぶれるのかな、つぶれてもいいけどな。そんなことを社員が思ってしまいます。

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