今年は「PmP2006」を筆頭に、fringeがミッションとしている地域の演劇支援について深く考えさせられた一年でした。地域と東京の両方に目配りしている演劇人が口を揃えて訴えていたのは、地域の潜在能力は決して東京に劣らないということ。当然ながら演劇人としての資質に地域差などないはずで、あるとすればそれを引き出す環境の違いでしょう。
東京から指導者を招くのも時には必要ですが、地域の内側から意識を変えていかないと結局なにも変わりません。観客は目の前の結果だけを見がちで、ここに意識のズレがあるように感じます。札幌演劇鑑賞協会から生まれた北海道演劇財団に地元の演劇人が厳しい評価をしているのも、そのためでしょう。各地で盛んに行なわれてきた市民劇も、現場ではその限界を感じ取っているようです。演劇を根付かせるというのはどういうことなのか、地域の演劇人はいま一度行政や観客に問い掛けてほしいと思います。
地元の価値を見出せない、見出しても自信を持って紹介出来ないという点では、地域のマスコミも同じではないでしょうか。例えば、昨秋のギンギラ太陽’sパルコ劇場公演は、福岡の各紙ともこぞって社会面で大きく取り上げました。確かにニュースバリューはありますが、パルコで公演しようがしまいがギンギラは優れているわけで、東京で評価されたことを喜ぶよりも、東京の評価が遅すぎたと書いてもよかったのではないかと思いました。
ギンギラ太陽’sの話題が福岡の紙面を飾るのはめずらしくありませんが、パルコの記事を読み返すと、東京で客観的な評価を得た安堵のようなものがどの記事からも伝わってきます。それはちょっと違うんじゃないか。ギンギラがパルコでウケるのは当たり前で、ギンギラを評価してきた福岡の新聞なら、パルコという物差しがなくても「いいものはいい」という論調で押してほしいのです。記者自身の目にもっと自信が欲しいのです。
地域の記者が客観的な評価をするには、共同通信や他本社版に頼らず、出張などで絶えず全国水準の作品に接する努力が必要です。地域で演劇欄を担当するというのは、結局そういうことでしょう。そうでなければ、演劇評論家が首都圏と関西に集中する現状で、誰が地域の作品を全国に紹介出来るのでしょうか。地域のマスコミは東京での評価を物差しにしてしまう傾向が非常に強いので、敢えて苦言を書かせていただきました。
東京公演をしなくても、「いいものはいい」のです。それを全国に紹介してください。それが地域のマスコミの重大な使命だと思います。
ご無沙汰しております。
評価をする自信が、記事を書く側にないために、
前宣伝の地域紙の記事こそが重要となってくるはず
にもかかわらず、「こんな公演が行われた」と
いう開催結果を伝える記事で紙面が占められるという
ことも起こるのだと思います。
しかし、そういうところをかいくぐって、魅力を
伝えていくしかないのでしょうね。
地域のマスコミの使命(トラバ)
地域のマスコミの使命へのトラバです。
この件ちょっと考えてみました。
以下のような仮説に行きあたりました。行政の文化担当者も、新聞の文化担当者にも共通します。
仮説
1 彼らはサラリーマンで、だいたい数年で異動してしまう
2 なので、「自分がよいと…