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	<title>地域こそプロデューサーが必要 へのコメント</title>
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	<description>小劇場演劇の制作者を支援するサイト「fringe」がお届けするウェブログです。</description>
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		<title>六角形 より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/09/30181442.html#comment-437</link>
		<dc:creator><![CDATA[六角形]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 30 Sep 2005 17:09:31 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=368#comment-437</guid>
		<description><![CDATA[引用していただいたもう片方の六角形です。こちらに取上げられるときは大抵お騒がせな内容で、ちょっと恥ずかしいです。あの乱暴な文章に「演劇を活性化させたいという思いがにじみ出ており」とは、過分な評価、恐れ入ります。

「力のある作品は祝祭性とは無関係に、内容だけで観客の魂を揺さぶるはずです」の一文、心に染みます。

酔って絡んで岡田さんにはご迷惑をおかけしました。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>引用していただいたもう片方の六角形です。こちらに取上げられるときは大抵お騒がせな内容で、ちょっと恥ずかしいです。あの乱暴な文章に「演劇を活性化させたいという思いがにじみ出ており」とは、過分な評価、恐れ入ります。</p>
<p>「力のある作品は祝祭性とは無関係に、内容だけで観客の魂を揺さぶるはずです」の一文、心に染みます。</p>
<p>酔って絡んで岡田さんにはご迷惑をおかけしました。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>おかだしんぺい より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/09/30181442.html#comment-436</link>
		<dc:creator><![CDATA[おかだしんぺい]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 30 Sep 2005 11:48:57 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[引用していただいている、南方演劇論　おかだです。
最初のエントリは、雑感的に書いた物だったので、こちらにまで取り上げられてしまって、驚くやら、なにやら、正直やれやれ、という感じではあるのですが・・・。

私は宮崎の演劇環境(見る側も演じる側もそれをつなぐ側も）が少しでも良くなって欲しい、という視点が原点ですから、そこからはどうしても離れられません。
もちろん、地方（宮崎）には課題が山積みで、特に制作はあまり力が入れられてこなかった部分だったと思います。私自身は今は傍観者ですから、これ以上建設的なことは何もできないのですが。


祝祭性、については、私もちょっと危ないことばを使ってしまったなとの自覚はありました。「観劇体験の非日常性」というぐらいの感覚で、読んでいただければと思います。
しかしその中にも、観劇すること自体が日常的かどうかということと、劇場空間で創造される非日常空間体験、という２つの意味があるのかなと思います。
両者をあまり区別せずに私は使いました。宮崎のような土地では今のところ前者のような非日常性が多いのが現状です。
劇場に足を運ぶことが日常的なことになるという都市環境は素敵なことですが、滅多にない観劇機会にドキドキするという初心な感覚を、５０になっても６０になっても感じられる農村感覚も捨てがたいのです。
ところで、後者の意味(劇場空間の非日常性）でさえ、非日常性を感じられなくなってしまっても、演劇に感激することができるのでしょうか。そういうことに関係なく感激できるのが質の高い演劇なのだ、ということなのでしょうね。


じゃあやっぱりお前は宮崎は今のままの演劇僻地で良いということなのか、と言われそうですが、そうではなくて、このローカルでしかありえない感覚をうまく取り込みながら、演劇環境を良くして行くにはどうしたらよいのか考えていきたい、ということなのです。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>引用していただいている、南方演劇論　おかだです。<br />
最初のエントリは、雑感的に書いた物だったので、こちらにまで取り上げられてしまって、驚くやら、なにやら、正直やれやれ、という感じではあるのですが・・・。</p>
<p>私は宮崎の演劇環境(見る側も演じる側もそれをつなぐ側も）が少しでも良くなって欲しい、という視点が原点ですから、そこからはどうしても離れられません。<br />
もちろん、地方（宮崎）には課題が山積みで、特に制作はあまり力が入れられてこなかった部分だったと思います。私自身は今は傍観者ですから、これ以上建設的なことは何もできないのですが。</p>
<p>祝祭性、については、私もちょっと危ないことばを使ってしまったなとの自覚はありました。「観劇体験の非日常性」というぐらいの感覚で、読んでいただければと思います。<br />
しかしその中にも、観劇すること自体が日常的かどうかということと、劇場空間で創造される非日常空間体験、という２つの意味があるのかなと思います。<br />
両者をあまり区別せずに私は使いました。宮崎のような土地では今のところ前者のような非日常性が多いのが現状です。<br />
劇場に足を運ぶことが日常的なことになるという都市環境は素敵なことですが、滅多にない観劇機会にドキドキするという初心な感覚を、５０になっても６０になっても感じられる農村感覚も捨てがたいのです。<br />
ところで、後者の意味(劇場空間の非日常性）でさえ、非日常性を感じられなくなってしまっても、演劇に感激することができるのでしょうか。そういうことに関係なく感激できるのが質の高い演劇なのだ、ということなのでしょうね。</p>
<p>じゃあやっぱりお前は宮崎は今のままの演劇僻地で良いということなのか、と言われそうですが、そうではなくて、このローカルでしかありえない感覚をうまく取り込みながら、演劇環境を良くして行くにはどうしたらよいのか考えていきたい、ということなのです。</p>
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