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	<title>高校演劇の不思議 へのコメント</title>
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	<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html</link>
	<description>小劇場演劇の制作者を支援するサイト「fringe」がお届けするウェブログです。</description>
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		<title>S より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-362</link>
		<dc:creator><![CDATA[S]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 17 Jun 2010 08:01:52 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-362</guid>
		<description><![CDATA[私は高校時代に演劇部に所属し、また10年たった現在でも関わっている者です。

いろいろなご意見があるようですが……

&gt;&gt;演劇の60％は戯曲で決まります。素晴らしい戯曲があれば、役者の演技以前に物語の力で評価を得てしまいます

&gt;&gt;（演劇部の顧問が本当に表現をしたいのなら）学校とは別にカンパニーを旗揚げしたり、戯曲賞に応募すればいいんじゃないかという気がします。顧問が戯曲を書くというのは、高校野球なら監督がピッチャーを務めるのと同じだと思います。

この部分に、私はほぼ完全に同意です。

]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>私は高校時代に演劇部に所属し、また10年たった現在でも関わっている者です。</p>
<p>いろいろなご意見があるようですが……</p>
<p>>>演劇の60％は戯曲で決まります。素晴らしい戯曲があれば、役者の演技以前に物語の力で評価を得てしまいます</p>
<p>>>（演劇部の顧問が本当に表現をしたいのなら）学校とは別にカンパニーを旗揚げしたり、戯曲賞に応募すればいいんじゃないかという気がします。顧問が戯曲を書くというのは、高校野球なら監督がピッチャーを務めるのと同じだと思います。</p>
<p>この部分に、私はほぼ完全に同意です。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>誠博客 より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-364</link>
		<dc:creator><![CDATA[誠博客]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 05 Aug 2005 16:20:34 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-364</guid>
		<description><![CDATA[&lt;strong&gt;青森中央の最優秀賞はおめでたいが、素直に喜ばないでおく&lt;/strong&gt;

青中央が演劇最優秀／高総文閉幕（東奥日報）

今回も畑澤聖悟関連のネタ。
八戸で行われた高校演劇の全国大会は青森中央高校『修学旅行』が最優秀賞（優勝）を受賞して閉幕した。この台本を書い（て、演出もし）た畑澤センセは創作脚本賞も受賞したとのことだ。この芝居
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><strong>青森中央の最優秀賞はおめでたいが、素直に喜ばないでおく</strong></p>
<p>青中央が演劇最優秀／高総文閉幕（東奥日報）</p>
<p>今回も畑澤聖悟関連のネタ。<br />
八戸で行われた高校演劇の全国大会は青森中央高校『修学旅行』が最優秀賞（優勝）を受賞して閉幕した。この台本を書い（て、演出もし）た畑澤センセは創作脚本賞も受賞したとのことだ。この芝居</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>某日観劇録 より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-363</link>
		<dc:creator><![CDATA[某日観劇録]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 May 2005 14:26:04 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-363</guid>
		<description><![CDATA[&lt;strong&gt;芝居よりも面白いかもしれない高演協騒動顛末&lt;/strong&gt;

うっかり見逃していましたが、fringeのトピックで紹介されていました。「全国高等学校演劇協議会公式サイト閉鎖・再開の経緯を運営担当者がリポート（2005/4/
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p><strong>芝居よりも面白いかもしれない高演協騒動顛末</strong></p>
<p>うっかり見逃していましたが、fringeのトピックで紹介されていました。「全国高等学校演劇協議会公式サイト閉鎖・再開の経緯を運営担当者がリポート（2005/4/</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>夏井孝裕 より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-361</link>
		<dc:creator><![CDATA[夏井孝裕]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 28 Apr 2005 01:26:27 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-361</guid>
		<description><![CDATA[サカシタさんは、ここの議論にではなく、

「高校演劇の世界」というのは実に特殊で、演劇でありながら勝った負けたを言い合うのは高校演劇だけ。

という古城氏の言葉に反発されてらっしゃるのだと思いますが、あの発言が高校演劇をバカにしたものであるかはちょっと、受け取り方次第ですね。

紹介されているもとの文にある
「あの高校の演劇部は強い、弱いといういいかた」をするのはたしかに高校演劇以外にはほとんどないと思います。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>サカシタさんは、ここの議論にではなく、</p>
<p>「高校演劇の世界」というのは実に特殊で、演劇でありながら勝った負けたを言い合うのは高校演劇だけ。</p>
<p>という古城氏の言葉に反発されてらっしゃるのだと思いますが、あの発言が高校演劇をバカにしたものであるかはちょっと、受け取り方次第ですね。</p>
<p>紹介されているもとの文にある<br />
「あの高校の演劇部は強い、弱いといういいかた」をするのはたしかに高校演劇以外にはほとんどないと思います。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>荻野達也 より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-360</link>
		<dc:creator><![CDATA[荻野達也]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 26 Apr 2005 16:51:28 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-360</guid>
		<description><![CDATA[作品へのプライドは表現者なら誰もが抱いていることで、それに対して「勝ち負け」という言葉を使うのは個人の自由です。高校演劇で上位大会へ進むことが「勝ち」だと思うのなら、それはそれでいいでしょう。けれど、表現の世界にはもっと様々な「勝ちパターン」があるということを、この議論に参加されている方々は考えていると思います。

サカシタさんも「様々な物差しがある」と書かれているとおり、プロフェッショナルのカンパニーであっても、観客動員、演劇賞、助成金の採択などで客観的な差がついています。しかし、その物差しの基準は一律ではありません。とある演劇賞で相手にされなかった作品が、別の演劇賞で受賞することもあります。観客動員が少なくて興行的に苦しんでいても、だからこそ助成金に採択されたりします。本当に作品に自信があるなら、一つの物差しだけを絶対視せず、信じた道を歩けばいいと思います。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>作品へのプライドは表現者なら誰もが抱いていることで、それに対して「勝ち負け」という言葉を使うのは個人の自由です。高校演劇で上位大会へ進むことが「勝ち」だと思うのなら、それはそれでいいでしょう。けれど、表現の世界にはもっと様々な「勝ちパターン」があるということを、この議論に参加されている方々は考えていると思います。</p>
<p>サカシタさんも「様々な物差しがある」と書かれているとおり、プロフェッショナルのカンパニーであっても、観客動員、演劇賞、助成金の採択などで客観的な差がついています。しかし、その物差しの基準は一律ではありません。とある演劇賞で相手にされなかった作品が、別の演劇賞で受賞することもあります。観客動員が少なくて興行的に苦しんでいても、だからこそ助成金に採択されたりします。本当に作品に自信があるなら、一つの物差しだけを絶対視せず、信じた道を歩けばいいと思います。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>サカシタナヲミ より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-359</link>
		<dc:creator><![CDATA[サカシタナヲミ]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 26 Apr 2005 13:41:04 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-359</guid>
		<description><![CDATA[勝った負けた　は高校演劇でなくても口にするしはっきりと感じる
「他からの決定的な評価」で　勝ったか負けたか　にならないだけで　アマチュアでもプロでも　他人の芝居を観たとき　自分たちの芝居を考えて　勝った　負けた　と明確に認識するのではないか
もちろんそれは様々な点で
だから
高校演劇以外　勝った負けた　がない
というのは　高校演劇以外しい他人から明確に勝ち負けを断ぜられることがほぼない　というだけのことだ　
自分たちの胸の内にははっきりとあるのではないか　
それならば「高校演劇以外勝った負けたはない」という言葉は高校演劇をバカにしている　というか　高校演劇でない自分たちをそういう勝ち負け意識から関係のないところに存在しているかのように語るきれい事ではないのか
高校演劇でもそうだが　自分の劇団でも　私は明確に勝ちたいもしくは負けるわけがないと思う劇団もあるし　作品毎に勝ち負けを痛切に感じる
他劇団の演劇人からも「勝ったと思った」などという言葉（逆もある）もよく聞く　し　それは「高校演劇以外云々」とバカにされているかのようなニュアンスで捉えてはなくクオリティーや路線への自負と研鑽を支えるものだ

皆さんはそういう経験がないのだろうか
（この勝ち負けは様々な物差しがあるということは言うまでもないのだが）
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>勝った負けた　は高校演劇でなくても口にするしはっきりと感じる<br />
「他からの決定的な評価」で　勝ったか負けたか　にならないだけで　アマチュアでもプロでも　他人の芝居を観たとき　自分たちの芝居を考えて　勝った　負けた　と明確に認識するのではないか<br />
もちろんそれは様々な点で<br />
だから<br />
高校演劇以外　勝った負けた　がない<br />
というのは　高校演劇以外しい他人から明確に勝ち負けを断ぜられることがほぼない　というだけのことだ　<br />
自分たちの胸の内にははっきりとあるのではないか　<br />
それならば「高校演劇以外勝った負けたはない」という言葉は高校演劇をバカにしている　というか　高校演劇でない自分たちをそういう勝ち負け意識から関係のないところに存在しているかのように語るきれい事ではないのか<br />
高校演劇でもそうだが　自分の劇団でも　私は明確に勝ちたいもしくは負けるわけがないと思う劇団もあるし　作品毎に勝ち負けを痛切に感じる<br />
他劇団の演劇人からも「勝ったと思った」などという言葉（逆もある）もよく聞く　し　それは「高校演劇以外云々」とバカにされているかのようなニュアンスで捉えてはなくクオリティーや路線への自負と研鑽を支えるものだ</p>
<p>皆さんはそういう経験がないのだろうか<br />
（この勝ち負けは様々な物差しがあるということは言うまでもないのだが）</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>荻野達也 より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-358</link>
		<dc:creator><![CDATA[荻野達也]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 25 Apr 2005 02:36:44 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-358</guid>
		<description><![CDATA[ひらさんの「異種格闘技」という例えはわかりやすいですね。

そこまで割り切って考えられるのなら、藤本さんの書かれているように「大会」ではなく「フェスティバル」にして上演機会をもっと増やしたり、学校間の壁を取り払った複数校アンサンブルによる合同上演が許されればいいのにと思います。

私のいた遊気舎は大阪のスペースゼロを本拠にしていましたので、この劇場が1990年から始めた「HIGH SCHOOL PLAY FESTIVAL」（HPF）をよく知っています。これは上演時間自由、合同上演ＯＫのなんでもありフェスティバルです。同劇場を主宰していた古賀かつゆき氏の文章を引用します。

======================================================================
HIGHSCHOOL PLAY FESTIVAL（HPF）は、伝統の高校演劇コンクールの審査を担当するうちに『君たち、そうじゃないだろう？　本当は違うんだろう？』と、しきりに思えてきて考え出した企画であった。演劇の甲子園といわれてきた学校単位で競うコンクールと異なる大きな特長は、学校合同、有志の結集、いずれもOKだったこと。日頃、隔絶状態にある女子高の生徒も有志結集のグループに参加して男子生徒と一緒に芝居を作った。本番の会場はまさにお祭りの盛り上がりを見せたものだ。また、時間制限なし。昼夜2回公演の決行などが挙げられる。金蘭会、追手門学院などは3時間から4時間に迫る大作を堂々と仕上げ、それを昼、夜2回上演するのだ。その圧倒的パワーには高校生だけでなく、多くの大人と演劇関係者が息を呑んだ。特長として更に、美術、音響、照明の全てを高校生自らが手掛けること。それは市民会館など一般のホールでは考えられない相談である。
======================================================================

続きは古賀氏のサイトでお読みください。
&lt;a href=&quot;http://www1.kcn.ne.jp/~himasiyu/p-zerokiroku/p-zero-hpf/hpf-1.htm&quot; target=&quot;_blank&quot; rel=&quot;nofollow&quot;&gt;http://www1.kcn.ne.jp/~himasiyu/p-zerokiroku/p-zero-hpf/hpf-1.htm&lt;/a&gt;

HPFは同劇場が閉鎖したあと2003年からスタイルを変え、大阪の小劇場演劇と連携した運営になりました。高校演劇に欠けていた概念「制作」のスタッフワークも加わりました。私は制作が公演に不可欠なポジションだということを、高校時代から生徒に体感させてほしいと思います。

大会運営は顧問の負担だと思いますが、生徒をもっと制作として参加させることは出来ないでしょうか。演劇部員は確かに役者志向だと思いますが、探せばスタッフ志向の生徒も必ずいると思います。「フェスティバル」という形で他校の上演をもサポートするような生徒の制作者集団が出来れば、将来の演劇界に大きく貢献するでしょう。

Okasonさんの「プロの真似であれば、客には受けても審査員には受けません」、審査員を務められた夏井さんのご意見は参考になります。確かに戯曲と演技の乖離がわかる上演も多いでしょう。ちょっと気になったのは、過去の生徒創作の秀作（晩成書房の『高校演劇Selection』収録作品など）を上演した場合はどうかなという点。同じ身の丈の生徒創作ですから、かなり厳正な審査が求められるだろうと思います。

大阪時代は高校演劇に触れる機会もあったのですが、東京に来てからは遠ざかっているので、今度手近な大会を覗いてみたいと思います。

ちょっと脱線するかも知れませんが、「フェスティバル」で連想したのですが、東京の顧問の皆さんは全クラスがミュージカルを上演する都立青山高校の外苑祭はどう思われていますか。一説には観客動員6,000名とも言われていますが。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>ひらさんの「異種格闘技」という例えはわかりやすいですね。</p>
<p>そこまで割り切って考えられるのなら、藤本さんの書かれているように「大会」ではなく「フェスティバル」にして上演機会をもっと増やしたり、学校間の壁を取り払った複数校アンサンブルによる合同上演が許されればいいのにと思います。</p>
<p>私のいた遊気舎は大阪のスペースゼロを本拠にしていましたので、この劇場が1990年から始めた「HIGH SCHOOL PLAY FESTIVAL」（HPF）をよく知っています。これは上演時間自由、合同上演ＯＫのなんでもありフェスティバルです。同劇場を主宰していた古賀かつゆき氏の文章を引用します。</p>
<p>======================================================================<br />
HIGHSCHOOL PLAY FESTIVAL（HPF）は、伝統の高校演劇コンクールの審査を担当するうちに『君たち、そうじゃないだろう？　本当は違うんだろう？』と、しきりに思えてきて考え出した企画であった。演劇の甲子園といわれてきた学校単位で競うコンクールと異なる大きな特長は、学校合同、有志の結集、いずれもOKだったこと。日頃、隔絶状態にある女子高の生徒も有志結集のグループに参加して男子生徒と一緒に芝居を作った。本番の会場はまさにお祭りの盛り上がりを見せたものだ。また、時間制限なし。昼夜2回公演の決行などが挙げられる。金蘭会、追手門学院などは3時間から4時間に迫る大作を堂々と仕上げ、それを昼、夜2回上演するのだ。その圧倒的パワーには高校生だけでなく、多くの大人と演劇関係者が息を呑んだ。特長として更に、美術、音響、照明の全てを高校生自らが手掛けること。それは市民会館など一般のホールでは考えられない相談である。<br />
======================================================================</p>
<p>続きは古賀氏のサイトでお読みください。<br />
<a href="http://www1.kcn.ne.jp/~himasiyu/p-zerokiroku/p-zero-hpf/hpf-1.htm" target="_blank" rel="nofollow">http://www1.kcn.ne.jp/~himasiyu/p-zerokiroku/p-zero-hpf/hpf-1.htm</a></p>
<p>HPFは同劇場が閉鎖したあと2003年からスタイルを変え、大阪の小劇場演劇と連携した運営になりました。高校演劇に欠けていた概念「制作」のスタッフワークも加わりました。私は制作が公演に不可欠なポジションだということを、高校時代から生徒に体感させてほしいと思います。</p>
<p>大会運営は顧問の負担だと思いますが、生徒をもっと制作として参加させることは出来ないでしょうか。演劇部員は確かに役者志向だと思いますが、探せばスタッフ志向の生徒も必ずいると思います。「フェスティバル」という形で他校の上演をもサポートするような生徒の制作者集団が出来れば、将来の演劇界に大きく貢献するでしょう。</p>
<p>Okasonさんの「プロの真似であれば、客には受けても審査員には受けません」、審査員を務められた夏井さんのご意見は参考になります。確かに戯曲と演技の乖離がわかる上演も多いでしょう。ちょっと気になったのは、過去の生徒創作の秀作（晩成書房の『高校演劇Selection』収録作品など）を上演した場合はどうかなという点。同じ身の丈の生徒創作ですから、かなり厳正な審査が求められるだろうと思います。</p>
<p>大阪時代は高校演劇に触れる機会もあったのですが、東京に来てからは遠ざかっているので、今度手近な大会を覗いてみたいと思います。</p>
<p>ちょっと脱線するかも知れませんが、「フェスティバル」で連想したのですが、東京の顧問の皆さんは全クラスがミュージカルを上演する都立青山高校の外苑祭はどう思われていますか。一説には観客動員6,000名とも言われていますが。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>夏井孝裕 より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-357</link>
		<dc:creator><![CDATA[夏井孝裕]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 24 Apr 2005 16:41:53 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-357</guid>
		<description><![CDATA[大会の審査員を何度か務めた経験から申しますと、
「素晴らしい戯曲があれば、役者の演技以前に物語の力で評価を得てしまいます。」
ということはまずありませんね。
同席したほかの審査員の方々（プロ、アマ含む）にも、
どこまでが戯曲の力でどこからが生徒の力かがわからなくなっている人はいませんでした。

審査員には事前に上演台本が配布されます。

逆にある県の県大会では、
「生徒が頑張って書いたものだからという理由で生徒創作作品に点を甘くつけることはしないで下さい」
いわれたことがあります。

既成戯曲の方がむしろ勝ちにくいようですね。戯曲に演技が追いついていないことが客観的にわかりやすいからです。
全国大会に勝ち進む既成戯曲が少ないのはそういうことです。

（ちなみに、成井豊さんや高橋いさをさんの作品や、『祭りよ、今宵だけは悲しげに』のような高校演劇の定番作品は審査する側が見飽きていることがあったりします。もうこの作品見るの１０回目だ、というような嘆きも耳にしました）

荻野さんの疑問自体はもっともです。私も部門別に審査することに反対ではありませんが、なぜ生徒創作、顧問創作、既成戯曲が一緒に審査されているかというと、「それでは不公平すぎる」という声が当事者である学校側からあがっていないからであって、不公平感はそれほどもたれていないのが実際のところではないでしょうか。

実際に大会をご覧になってはいかがでしょうか。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>大会の審査員を何度か務めた経験から申しますと、<br />
「素晴らしい戯曲があれば、役者の演技以前に物語の力で評価を得てしまいます。」<br />
ということはまずありませんね。<br />
同席したほかの審査員の方々（プロ、アマ含む）にも、<br />
どこまでが戯曲の力でどこからが生徒の力かがわからなくなっている人はいませんでした。</p>
<p>審査員には事前に上演台本が配布されます。</p>
<p>逆にある県の県大会では、<br />
「生徒が頑張って書いたものだからという理由で生徒創作作品に点を甘くつけることはしないで下さい」<br />
いわれたことがあります。</p>
<p>既成戯曲の方がむしろ勝ちにくいようですね。戯曲に演技が追いついていないことが客観的にわかりやすいからです。<br />
全国大会に勝ち進む既成戯曲が少ないのはそういうことです。</p>
<p>（ちなみに、成井豊さんや高橋いさをさんの作品や、『祭りよ、今宵だけは悲しげに』のような高校演劇の定番作品は審査する側が見飽きていることがあったりします。もうこの作品見るの１０回目だ、というような嘆きも耳にしました）</p>
<p>荻野さんの疑問自体はもっともです。私も部門別に審査することに反対ではありませんが、なぜ生徒創作、顧問創作、既成戯曲が一緒に審査されているかというと、「それでは不公平すぎる」という声が当事者である学校側からあがっていないからであって、不公平感はそれほどもたれていないのが実際のところではないでしょうか。</p>
<p>実際に大会をご覧になってはいかがでしょうか。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>Okason より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-356</link>
		<dc:creator><![CDATA[Okason]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 23 Apr 2005 17:09:12 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-356</guid>
		<description><![CDATA[興味深く読ませていただきました。私の意見を述べさせていただきます。

「コンクールで勝つことを目的に、受けがいい既製戯曲を探してくる悪循環」とありましたが、受けがいい既製戯曲はすでに多くの人が上演していて、そういったプロと比較されるリスクがあります。うまく上演しても、それがプロの真似であれば、客には受けても審査員には受けません。審査員は目が肥えていますから、受けのいい既製台本でも、そこに何らかの目新しさ（高校生らしさ？）がないと評価されないと思います。高校演劇の場合、この目新しさという点で比較すれば、絶対に創作台本の方が有利です。ただ生徒創作か顧問創作かでいえば、顧問創作の方が完成度は高いことが多いので、それを同じ俎上で審査の対象にするのは不公平かもしれません。

また、台本を書ける部員はなかなかいません。書く意欲があっても、結局形にまとめられないのです。書けても完成度が高いとは限りません。まあ、書くことは技術に寄るところもありますし、台本は誰でも書ける物ではありませんから、ある意味当然なのですが。だから顧問が台本書けるところは顧問創作になるのでしょう。

まず、高校生には舞台上で演じたい、表現したいという衝動（欲求）があると思います。昨今のお笑いブームにもつながるかもしれませんが「何かやって周りにウケたい」という気持ちではないでしょうか。高校生によっては、それがヒップホップのダンスだったり、バンドだったりすると思います。でも始めは自分たちのオリジナルではなく、大抵はコピーからですよね。そこからオリジナルの創作へ向かうのは、ほんのわずかだと思います。だから、表現したい欲求と、台本を書くことは別物と私は考えます。

高校生に、舞台上で演じたい、表現したいという衝動があるならば、私は既製台本でも創作台本でも、同じ俎上でコンクール形式でいいんじゃないかと思います。台本は演劇の重要な要素です。でも、結局は演じる熱意、表現欲の強さじゃないのかなと、私は思います。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>興味深く読ませていただきました。私の意見を述べさせていただきます。</p>
<p>「コンクールで勝つことを目的に、受けがいい既製戯曲を探してくる悪循環」とありましたが、受けがいい既製戯曲はすでに多くの人が上演していて、そういったプロと比較されるリスクがあります。うまく上演しても、それがプロの真似であれば、客には受けても審査員には受けません。審査員は目が肥えていますから、受けのいい既製台本でも、そこに何らかの目新しさ（高校生らしさ？）がないと評価されないと思います。高校演劇の場合、この目新しさという点で比較すれば、絶対に創作台本の方が有利です。ただ生徒創作か顧問創作かでいえば、顧問創作の方が完成度は高いことが多いので、それを同じ俎上で審査の対象にするのは不公平かもしれません。</p>
<p>また、台本を書ける部員はなかなかいません。書く意欲があっても、結局形にまとめられないのです。書けても完成度が高いとは限りません。まあ、書くことは技術に寄るところもありますし、台本は誰でも書ける物ではありませんから、ある意味当然なのですが。だから顧問が台本書けるところは顧問創作になるのでしょう。</p>
<p>まず、高校生には舞台上で演じたい、表現したいという衝動（欲求）があると思います。昨今のお笑いブームにもつながるかもしれませんが「何かやって周りにウケたい」という気持ちではないでしょうか。高校生によっては、それがヒップホップのダンスだったり、バンドだったりすると思います。でも始めは自分たちのオリジナルではなく、大抵はコピーからですよね。そこからオリジナルの創作へ向かうのは、ほんのわずかだと思います。だから、表現したい欲求と、台本を書くことは別物と私は考えます。</p>
<p>高校生に、舞台上で演じたい、表現したいという衝動があるならば、私は既製台本でも創作台本でも、同じ俎上でコンクール形式でいいんじゃないかと思います。台本は演劇の重要な要素です。でも、結局は演じる熱意、表現欲の強さじゃないのかなと、私は思います。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>藤本瑞樹 より</title>
		<link>http://fringe.jp/blog/archives/2005/04/22170750.html#comment-355</link>
		<dc:creator><![CDATA[藤本瑞樹]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 23 Apr 2005 12:49:21 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://fringe.jp/blog2/?p=289#comment-355</guid>
		<description><![CDATA[うーん。
そもそも「大会」が必要なのかなあ、と思いますね。
そのむかし、高校生だった時代に、
「今年は九州大会目指して頑張ります!!」
みたいなことが書いてあったのを見て、
同世代ながらバカらしいなあと思ってしまいました。

もっとフェスティバルな感じになればいいのに。
上演時間も制限なく、上演日も週末の何日かだけってわけじゃなく「この月の毎週末に!!」みたいな感じで、
もっと「その場を楽しむ」雰囲気を創ったほうが、彼らのためにもよいのではないかなあ、と。
まあ、彼らの「ため」なんて、ほんとうのところはよくわかりませんが。

北九州ではある高校の先生がイニシアチブを取って、
毎年3月末に「共演祭」と銘打って、いろんな高校が集まって制限なく上演できる機会を作ってくださってます。
その共演祭に参加する高校が、大会に比べると圧倒的に少ないのが、まあ、「現実」というやつなのかもしれませんが。
]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>うーん。<br />
そもそも「大会」が必要なのかなあ、と思いますね。<br />
そのむかし、高校生だった時代に、<br />
「今年は九州大会目指して頑張ります!!」<br />
みたいなことが書いてあったのを見て、<br />
同世代ながらバカらしいなあと思ってしまいました。</p>
<p>もっとフェスティバルな感じになればいいのに。<br />
上演時間も制限なく、上演日も週末の何日かだけってわけじゃなく「この月の毎週末に!!」みたいな感じで、<br />
もっと「その場を楽しむ」雰囲気を創ったほうが、彼らのためにもよいのではないかなあ、と。<br />
まあ、彼らの「ため」なんて、ほんとうのところはよくわかりませんが。</p>
<p>北九州ではある高校の先生がイニシアチブを取って、<br />
毎年3月末に「共演祭」と銘打って、いろんな高校が集まって制限なく上演できる機会を作ってくださってます。<br />
その共演祭に参加する高校が、大会に比べると圧倒的に少ないのが、まあ、「現実」というやつなのかもしれませんが。</p>
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