この記事は2005年1月に掲載されたものです。
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戯曲と演出と役者のバランス

カテゴリー: fringeのトピック以前 | 投稿日: | 投稿者:

●「fringe blog」は複数の筆者による執筆です。本記事の筆者は 荻野達也 です。

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12月に観た若手の作品で、戯曲には可能性を感じるのに、演出がその魅力を引き出し切れていないと思えるものがありました。小劇場系カンパニーは作・演出・主宰を同一人物が兼ねるのが一般的ですが、戯曲に比べて演出が弱いというのは非常に不幸なケースです。当日パンフを見ると、主宰の彼は戯曲に相当自信を持っているようで、だったらなおさら演出の弱さに気づいてほしいと感じました。大きく化けるであろう作品の可能性を封じているのは、もったいないことだと思います。

[ケーススタディ]にも書いたとおり、作品の完成度が高い場合、どこまでが戯曲の手柄で、どこまでが演出の成果なのか、観客には判断がつかないものですが、物語が際立っているのにテンポや間の悪さが緩慢な印象を与えている場合は、演出が弱いとはっきりわかります。演出が弱いということは、結局のところ役者を育てられないということですから、カンパニー全体の成長が遅れます。創生期は物語の魅力で一定の評価を得られたとしても、知名度が高まるにつれて役者にも客演依頼が増えるでしょうから、いずれ破綻が生じます。あの物語だから成立していたのだということがわかってしまいます。

演劇において演出がダメということは、そのカンパニーの存在を否定することに等しく、これは厳しいですね。逆に戯曲が弱いのなら、既成の台本を使ったり、座付作家を置けばいいわけですが、小劇場系で座付演出家というのはレアケースです。カンパニーというのは演出家を信じて集まっているわけですから、演出に魅力がないと成立しないわけです。

数は限られますが、小劇場系でも外部から演出家を招いた例はあります。これを本公演と呼ぶのはためらわれるのでしょう、プロデュース公演や特別公演などと称することが多いようです。記憶に残るものとしては、自転車キンクリートが鈴木勝秀氏(ZAZOUS THEATER)を招いた『MUTE』(1990年)、劇団そとばこまちが鈴木裕美氏(自転車キンクリート)を招いた『リバイバル』(96年)、最近ではKAKUTAが堤泰之氏(プラチナペーパーズ)を招いた『あおはるぽぉず’72』(2003年)などでしょうか。

集団の否定になりかねないことですから勇気が必要ですが、私は小劇場系も演出家を招く試みがもっとあっていいと思います。カンパニーの強みはその演出家の世界を理解する役者が揃っていることですが、だからといってその演出家が本当に演出に長けているかどうかは、公演を重ねてみないとわからないことです。人には志向性や得手不得手があります。最初から作=演出=主宰で不動という考え方を、もう少し疑ってみてもいいのではないでしょうか。中堅カンパニーが解散していく理由の上位に、この「得手不得手を自覚した」ということがきっとあるはずです。

制作者に出来ることはたくさんあります。制作者は個々の公演をプロデュースするだけでなく、カンパニー全体をプロデュースしなければなりません。戯曲と演出のバランスを客観的に分析し、それが偏りすぎていたら対策が必要です。演出家を招いての若手公演、他団体との合同公演、内部オーディション、役者をワークショップに送り出すなど、演出に刺激を与える試みはいくらでもあるでしょう。

私が所属していた遊気舎の後藤ひろひと氏は、戯曲のウエイトが非常に高い主宰者でした。もちろん演出のレベルも高いのですが、それが極まって他団体では例を見ないほどの当て書きになり、稽古を見ながら戯曲を書き進めることが、演出を兼ねる行為になっていました。例えるなら、つかこうへい氏が口立てする代わりに戯曲を書くようなものです。わかるでしょうか、口立てに匹敵する内容が最初から台詞になっているわけです。

これ自体は稀に見る才能で、役者は幸せだったと思いますが、だからこそ役者自ら研鑽する必要があり、内部では番外公演や若手公演が企画されました。この危機感を理解された外部の方はほとんどなく、『熱海殺人事件』を番外公演として企画したときは、遊気舎にいちばん近いはずの劇場関係者の方に真意を問われ、たいへんショックでした。集団にとっては「いまそこにある危機」だったのですが、外部の方には伝わらなかったようです。

後藤氏は遊気舎を離れ、いまはG2氏の演出と組むことが多くなっています。私もこれが小劇場における理想形に近いと感じます。ただ、制作サイドが後藤氏の才能を理解し、早い時期から戯曲と演出の関係を突き詰めて考えていたら、遊気舎というのはもっと違った、日本で例を見ない体制のカンパニーになっていた可能性があります。演劇史に残るチャンスだったのに、と本気で思います。まあ、こうしたことは時間が経過して全体を振り返るから言えるのであって、当時は日々を懸命にやり過ごしていただけでした。外部からは成功例に見えたかも知れない遊気舎でも、これだけの葛藤があったわけで、戯曲と演出と役者のバランスをどう保っていくかは、本当に試練だと思います。

冒頭の「戯曲>演出≒役者」の公演に接した際、外科的療法でバランスを変えてもいいんじゃないかと思ったのは、そうした感慨によるものです。集団を否定するつもりはなく、一人一人の才能を最適な組み合わせで開花させられないかと純粋に感じました。小劇場では馴染まない考え方かも知れませんが、ある程度の人数のカンパニーが、全員そのままプロになるのは不可能でしょう。本当にプロを目指すのなら、最適な組み合わせとはなにか、シビアに考えていくことが重要だと思うのです。


戯曲と演出と役者のバランス」への1件のフィードバック

  1. △ ゾウの猿芝居 ▽

    穴鍵(再演)無事終了!

    穴鍵再演(上本竜平演出)が無事、終了しました。 ご来場くださいました皆様、本当にありがとうございました。 そして、できるなら、初演を私が演出し、 再演を、外部の演出がやるというスタイルを、 印象のカラーとして、今後も継続していきたいと考えています。

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